私の履歴書 シリーズ12 入山 章栄:「若い世代がより明るい未来を作れるように」ビジネスの中心にいる私たちが今、大事にすべきこととは

(インタビューアー 湧永 寛仁・石井里江子)

入山 章栄(いりやま あきえ)

慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で調査・コンサルティング業務に従事した後、 2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D. D.(博士号)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。2013年より早稲田大学大学院早稲田大学ビジネススクール准教授。2019年より教授。専門は経営学。
 「Strategic Management Journal 」など国際的な主要経営学術誌に論文を多数発表。著書は「世界標準の経営理論」(ダイヤモンド社)、「世界の経営学者はいま何を考えているのか」(英治出版)「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」(日経BP社)他。 テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」のコメンテーターを務めるなど、メディアでも活発な情報発信を行っている。

インターハイで終え燃え尽き、一浪して慶應経済へ

湧永:入山さんの子ども時代から伺いたいと思いますが、どんなお子さんでいらっしゃったんでしょうか?

入山:僕は小学校1、2年の頃は快活だったんですけど、小3、小4、小5の途中ぐらいまではどちらかというと泣き虫な性格でした。内向的な子だったですね。それで中学は、野球部に入ったんです。野球部ではキャプテンをやるようになって、そのへんから内向性もなくなっていきました。そして高校では部活を変えて、ハンドボールをやったんです。ハンドボールを始めた理由は、野球って面白いんですけど、メジャースポーツなんで勝てないんですよね。一生懸命練習しても1回戦負けなんですよ。逆にハンドボールは進学校だったんですが東京都でベスト16とか行ってて、それですごいなと思って。どうもハンドボールはマイナースポーツがゆえに進学校でも一生懸命練習すると勝てる可能性があるというのが見えてきたんです。

湧永:戦略を立てたんですね。

入山:僕は結果にこだわるタイプなんです。だから差別化をいつも考えるんですよね。人と同じことやるのは嫌いなので。今思うと、高校の時よく球技大会とかあったじゃないですか。サッカーをやったんですけど、普通にやるとサッカー部が上手いから絶対自分はゴールできない、だからキーパーをやろうと思ったんです。キーパーだったら、足で蹴ることにこだわらなければ一番ボールを触れるのはキーパーだなと思って。

湧永:確かに言われてみればそうですね。

入山:そういう性格なんです。部活のほうも一生懸命やっても勝てない野球部よりは、マイナースポーツでも一生懸命やったら結果が出そうなハンドボール部のほうが面白いなと思って。勝たなきゃしょうがないと思って、ハンドボール部に転向しました。それで我々の代が主力になってから東京ベスト16まで行きました。ハンドボールは本当にやってよかったなと今でも思ってます。ただ、高校のインターハイで燃え尽きちゃって、その後、全然勉強もせず一浪しました。そして慶應経済を受験して受かったので、入りました。

慶應時代 木村先生のゼミで触れた最先端の論文、大学院へ進学

湧永:続いて、大学時代のお話をお願いできますでしょうか。

入山:最初は全然経済学がわからなくて。経済って何だろう?お金のこと?みたいな感じでした。

石井:ご興味はあったんですか?

入山:全然なかったです(笑)。僕の一番大きなきっかけはゼミで、3年生になる前に日吉でゼミ説明会ってあったじゃないですか。そのときに木村福成先生がちょうどアメリカから帰ってきて、慶應に鳴り物入りで入ってきたんです。先生の自己紹介は、完全に世界を背負っている感じなんですよ(笑)。まあ少なくとも当時の僕にはそう見えた。世界銀行でいろいろやっていて、帰国して「僕は日本語が苦手です」、みたいなことを言うんです。「ユーティリティが…あれ日本語で何て言うんだっけ?」みたいな。おお、かっこいいな!と思ったんです。それで木村先生のゼミに入ったのがすごく大きかった。今までは興味ないから全然経済学勉強してないんですけど、木村先生はどうも面白そうだなと。それで一生懸命やろうと思って勉強しました。僕が木村先生のことを好きなのは、当時の超最先端のことをやっているというか、教科書が海外の修士でやるような英語の教科書をそのまま使うんですよね。

湧永:原文ですね。

入山:英語で原文を読むんですよ。原文を読まされて、しかも木村先生は世界の経済学者のネットワークがあるので、そこのまだパブリッシュ(学術誌に掲載)されてないガチガチのワーキングペーパーみたいなものをゼミ生に読ませるんです。

湧永:すごい!

入山:論文は、実は学術誌に出る前が一番最先端なんです。まさに学者が研究している最中のものだから。今思うと、木村先生はわれわれ学生のレベルをわかってないだけだったと思うんですが(笑)。でも、これが結構大事なことだなと思っているんです。これが世界の最先端なんだ、というのを見せてくれたというのはすごくでかいと思うんですね。人間ってかっこいいとかいいなって思うのって最先端を見たときだと思うんです。例えば子どもが野球選手になりたいと思うときに、草野球で腹が出たおじさんのプレーを見てなりたいと思わないじゃないですか。大谷選手を見るからやりたいわけですよね。そうすると、世界の経済学ってよくわからないけど、これが最先端かと。普通にハーバードとかの最先端の論文が出てくるんです。でも木村先生がえらいのは、ここはこういうことなんですか?と聞くと、時に「いや全然わからない」と言うんですよね。世界の最先端の人でわからないとか言うの?みたいな。当時は木村先生は神みたいな感じだったので、その人でもわからないんだ、っていうのは僕はすごいなと思ったんです。

湧永:学生からしたら神ですよね。

入山:そうですよ。去年までアメリカでバリバリやっていた人が帰ってきて、この論文のこの部分はよくわからない、と平気で言うわけです。それは要するに、神でもわからないことがあるんだ、みたいな。そういうとき、ここが世界の最先端で、ここまではわかっているけど、ここまではわかってないんだな、ということが見えたんです。それは今思うとめちゃめちゃ貴重な経験だったんです。繰り返しですけど、みんなイチロー選手とか大谷選手を見て野球選手になりたいわけで、それを変にレベルを下げて、「まだイチロー選手とか大谷選手には程遠いんだから、お前はうさぎ跳びやってろ」って言っても楽しくないわけですよね。なので今、僕は早稲田の社会人大学院(ビジネススクール)でゼミをやっているんですけど、そこで海外の経営学の最先端の論文を英語そのまま読ませるんです。それが世界最先端だと。うちには大体大手企業の30代が来るんですけど、最先端の経営学で、わかっていることもわからないこともあるけど、論点を突き合わせるというのをやっていて、それはもろに木村先生の影響なんですね。

湧永:出る前の論文を見るなんてなかなかないですよね。

入山:それは世界の研究者のコミュニティに入れていないと回ってこないんですが、木村先生は入れていたんです。日本のほかの経済学者とかでも、当時はその世界のコミュニティに入れない人が多かったんです。そういうインナーサークルに入っているのを惜しげもなく見せて、しかもわれわれ学生に読ませようとするんですよね。全然わかりません、でもそのわかんないこと自体が楽しいんです。本当2年間楽しかったんです。それで、面白いから大学院に行こうと思ったんです。

湧永:勉強を続けたい、これをもっと知りたいと思って大学院に行かれたと。

入山:そうですね。あとはやっぱり、常に他の人と逆張りを行きたいタイプなんです。みんなが就職するなら俺はしません、と。みんな就職するの?俺には意味わからないなと思って、そのまま就職しないで大学院を受けることにしました。ところが、修士1年目のときに、今度はちょっとやる気を失ってモチベーションが落ちちゃったんです。ただ幸い、早稲田大学の浦田秀次郎先生という、木村先生の友人なんですが、有名な経済学者がいらっしゃったんです。その浦田先生が「入山さん、僕の手伝いやる?」と言ってくださって、データ打ちとか資料集めの手伝いをさせてもらったり、論文も共著にしてもらって、学会発表もさせてもらったりしたんです。そこでまたモチベーションが戻って、浦田先生にはすごく感謝していますね。

三菱総研へ就職後、留学を決意「海外出張にもっと行きたい、そうだ、住めばいいんだ!」

入山:修士から博士に行くとき、当時三菱総研が全予測シリーズという本を出していて、その一番最後のページを見ると、「何々大学大学院卒研究員」とか書いてあって、かっこいいなと思ったんです。そしたら、たまたまその三菱総研に入った慶應の先輩が、僕に声をかけてくれて、それで受けたら受かっちゃったんです。このかっこいい全予測出しているところに受かったぞ、みたいな(笑)。

 三菱総研に入ったときは、さすがに慶應の経済に6年もいたので、経済はちょっとわかるようになってたんです。ただ経営とかビジネスは全然わからなかったんです。なので、最初はエコノミスト的な仕事をしていました。例えば経済効果の予測とか、ああいうのを計算したり、あと景気予測とかあるじゃないですか。あれのアジア各国の景気予測などは実は当時僕が一部やっていたんです。あとたまたま入った部署が自動車調査部という部署で、自動車関連の研究をするようになりました。

湧永:それは偶然なんですか?

入山:偶然というか、たまたま僕に興味を持ってくださった部署がその自動車調査部だったんです。あと一方で、僕は海外に行くのが好きで、実際海外出張を何度かやらせてもらったんですけど、もっと行きたいなと思って。僕は行って3カ月か4カ月に1回なんですよね。そのときに、どうすれば「海外にもっと行けるかな」と思ったときにふとひらめいて、「そうか、海外に住めばいいんだ!」と思ったんです。

湧永:発想がすごいですね。その通りですよね。

入山:住んじゃえばいいんだと。で、住むには、よく考えたら、アメリカの博士課程ってかっこいいって思っていたので、海外に経済学で博士号取りに行こうと。そういえば先輩たちも何人か行っているよなと思って、行けば博士課程で、何年か向こうにいれるよねと思って、それで三菱総研に入って2年目のときにもう辞めると決めて、留学しようと思ったんです。

湧永:留学のきっかけがすごいですね。海外に住もうという。

経済学で本当にいいんだっけ? 経済学から経営学への転機

入山:でも本当にそうだったんです。それで、働きながら週末は留学の勉強をする、みたいなことをコツコツ始めました。で、すごくありがたいことに、アメリカの大学の経済学の博士課程を受けて、1年目で合格したんですね。2校受かって、やったと思って行こうと思ったんですけど、その瞬間に二つ悩んだことがあったんです。1個はまずお金がない。アメリカの経済学の博士は、すごく優秀だと奨学金が出るんですけど、僕はそこまでじゃなかったので、奨学金が出ないからお金がないんです。学費も生活費もめちゃめちゃかかるんですけどそのお金どうしよう、と。次に、経済学で本当にいいんだっけ?って思い出したんですよね。俺これで一生食っていきたいんだっけな?と思ったときに、慶應で国際経済分野の重鎮だった佐々波楊子先生に相談したんです。そしたら「あら入山さん、これからの時代は経済学の時代じゃないわよ、MBAよ。」と言われたんです。はて、MBAって何だろう?と思ったんですよね?

湧永:MBAはそれまでご存知なかったんですか?

入山:知らなかったんですよ(笑)。MBAを知らなくて、どうもビジネスの学位のことらしいと。ビジネススクールに博士課程があるというのをそのときようやく知ったんです。それで、こういう世界があるんだと思って、この世界の学術誌って何だろうと見ていたら、ストラテジックマネージメントジャーナルという世界最高の学術誌が三田の図書館にあったんです。見たら、やっているアプローチが僕が好きなタイプで、それで、これだ、と思って、経営学に転向しようと思ったんです。

石井:すごい直感ですね。

入山:それで経済学で留学するのをやめて、経営学で翌年受け直すことにしました。でも翌年全部落ちたんです。アメリカの経営学の博士は、経済学よりも入るのがさらに難しいんですよ。で、全部落ちちゃったから、上司のところに行って、「すいません、全部落ちました。本当すいません、もう1年会社にいさせてください」と言ったんです。結局のべ三菱総研は5年いたことになりました。そして、その翌年、なんとかピッツバーグ大学に受かって、行く事になりました。だから、経営学とは何かを全く知らず、MBAも何かよくわからないんだけど、とりあえず経営学のPh.D.(博士)課程に受かったから行ったんです。Ph.D.は、経営学のほうは実はそこそこの大学に行けば学費もタダだし、結構奨学金が出るんです。なので、1年目からお金を出してもらって、生活もなんとかなりそうなので行ったというのが留学するまでのあらましです。

吐くほど勉強した厳しいアメリカのPh.D.プログラム

湧永:ピッツバーグ大学は、何か専門分野とかあったんですか?

入山:ビジネススクールには、ファイナンス、マーケティング、それから人事組織みたいなやつ、戦略論、あとは会計とか、そういう分野がいくつかあるんですけど、その分野にそれぞれ2人ずつとか入学するのが普通なんです。僕の場合は、ピッツバーグ大学のビジネススクールのPh.D.の「経営戦略」(Strategic Management)分野に入って、当時同級生はアメリカ人と中国人の2人、それとほかの専門の人とも一緒に5年間勉強しました。

湧永:戦略を選んだのは何かあるんですか?

入山:一つは木村先生の専門が貿易論で、貿易論の流れがちょうどその頃から多国籍企業の戦略というほうに研究が進んでいたんです。つまり、国際貿易といっても、もう物の貿易というより、企業自体が移動するという時代になってきたので、多国籍企業の戦略というのが経済学でも注目されていたときだったんです。とりあえず僕が知っているのはそれしかなかったので、それをエッセイに書いたんです。僕の建前上の専門は、戦略/国際経営、グローバル経営なんですね。で、アメリカのPh.D.ってご存知のように地獄のように大変なので、最初の2年間は本当に吐くほど勉強させられました。論文を1日10本ぐらい読まないといけないんですよ。いや、10本じゃ済まないですね。アメリカのPh.D.は基本的にものすごくきつくて、2年目の最後にやる試験までにかなりの学生がクビになるんです。

湧永:どれくらいの割合でクビになっちゃうんですか?

入山:大学とか分野によりますが、僕のいたピッツバークの経営学は比較的優しくて、6、7割は生き残れました。しかし、ほかのビジネススクールの話を聞くと、半分以上はクビというのが普通で、経済学とか、公衆衛生学とか、あのへんだと8割から9割クビですね。

石井:厳しい世界ですね。

入山:ほとんどクビになります。まずそもそも2年間やっている途中で勉強がキツすぎて、ノイローゼで自分でやめちゃうんです。何とか生き残れても、2年目の最後に大きな試験があるんです。それで落ちるとクビなんですよ。一応修士はくれるんですけど、修士だけもらって母国に帰りなさい、という。僕は幸い運がよくて、結構好きでやっていたから、ノイローゼにもならず、非常にハッピーに過ごせました。運良く博士号も5年で取れたんです。で、ちょうど博士号を取る1、2年前から就職活動をしなきゃいけないんですね。日本に帰るという選択肢もあるんですけど、その頃は楽しいし、もうイケイケだから、当然アメリカ残るよね、みたいな感じでした。で、運良くリーマンショックの前で、それなりに大学のポジションがあったんです。それで就職活動をしたら、本当に運がいいことに、ニューヨーク州立大学のバッファロー校という、ニューヨーク州立大学の中で一番いい研究大学で、全米でもトップ50か40に入るぐらいのいいビジネススクールからオファーをもらえて、そこに就職することになりました。だからピッツバーグで5年過ごして、バッファローで5年間過ごしたという感じですね。

湧永:今は早稲田のほうに?

入山:アメリカに僕が一念発起して行って、ピッツバーグ大の博士に入学したのが2003年です。2008年までピッツバーグ大学の博士にいて、2008年からニューヨーク州立大学の助教授になって、2013年までそこにいたんです。で、2013年の秋に帰ってきて早稲田に来たんです。

石井:そのまま残ろうとは思わなかったんですか?

入山:思っていました。アメリカに永住も考えていました。でも、やっぱり日本っていいなと思い出しちゃったんです。すごく里心がついて、あとアメリカって食物まずいじゃないですか(笑)。

湧永:それはありますね。

入山:僕、結構一生懸命働いていたから、毎日家に帰らないで外で晩飯食べていたんですが、田舎なので大学キャンパスで食べるしかない。でもそこにはファーストフードしかないんですよ。ファーストフードの英語での注文は異常に上手くなったんですけど、「でも俺、ここで学者で成功しても一生ファーストフード食べ続けるのかよ」と思ったんです。で、一時帰国するたびに日本は食べ物美味しいから、人生ってもっと大事なことあるんじゃないか?って思い出したんです。当時僕は妻の仕事の関係もあって、できればワシントンDCの大学のポジションが取れれば理想だなと思っていたんです。もし奇跡的にワシントンD Cで就職できていたら、多分ずっとアメリカにいたかもしれない。でもワシントンD Cの大学なんて2〜3校だし、ポジションの空きなんて数年に1回だし、しかもそこに全米中の超優秀な経営学社が数十人は応募するわけです。なので厳しいな、と。で、どうしようかなと思ったとき、よし、食べ物も美味しい、やはり日本に帰ろうと思ったんです。その方が妻の就職にも有利だし、あと、父親がその数年前に他界していたので、一人暮らしの母親が心配だというのもありました。それで、早稲田のビジネススクールにお世話になることとなりました。

『両利きの経営』について

湧永:今、入山さんは本も出されていて。両利きの経営は何回も読まなくちゃいけないなと思っています。

入山:ありがとうございます。僕は監訳しただけなんですけど、あれはいい本ですよね。ただあの本、基本事例集じゃないですか。事例のことしか書いてなくて、両利きの経営とは何かってそもそも書いてないんです。で、僕が前書きで解説することになったんです。

湧永:一番最初のところにありますよね。

入山:あの前書きの解説は、僕が出版社に提案して書いたんです。「これがないと絶対売れない」と言って。もちろん基の本は内容は素晴らしいのですが、でも海外の事例だけ書かれても、日本の読者はわからないんですよ。

湧永:深化と探索といったところも入山さんが?

入山:深化と探索という日本語の名前をつけたのは全部僕です。あの本のその部分の解説も全部僕ですね。

湧永:グラフとかありますよね。

入山:あの図も僕が自分で本を出したときに作ったものです。僕は図化するのが比較的得意なんです。あと、両利きの経営という日本語の言葉も僕が作ったんです。そしたら今広まって一般用語になって、よかったなと思ってるんですけど。で、解説を書いたんですけど、それだけでは売れないなと思って、もう一段面白くするにはと思って、経営共創基盤の冨山和彦さんに後書きを書いてもらおうと思ったんです。僕がこの本の監訳を受ける条件は、僕が前書きを書いて、冨山さんが後書きを書いて、というテイストで行こうと提案したんです。

湧永:確かに事例集と言えば事例集ですもんね。

入山:そうです。でも結果的に僕が前書き書いて冨山さんが後書き書いて、ここで一般的な話をしているから、事例が深く読めるようになるんだと思います。

湧永:深化と探索というところを踏まえて読み始めていきますからね。

入山:「両利きの経営」はお陰様でベストセラーになりました。今は大手企業の経営者さんとかも、みなさん読まれていますね。

早稲田大学ビジネススクール三田会 創設

湧永:慶應で学んだこととかそういったことありますでしょうか?

入山:僕は大学っていろいろな可能性があると思うんですけど、いちばん大事なのって人との出会いだと思っているんです。そういう意味では僕は木村先生とか、当時のゼミの仲間と会えたというのが本当に大きかったですね。あれがなかったら今の僕はないです。

湧永:それぐらい大きい出会いだったんですね。

入山:はい。僕は早稲田大学ビジネススクールで、「早稲田大学ビジネススクール三田会」という組織の顧問をやっていますからね(笑)。ありがたいことにうちのビジネススクールはいますごく人気があるので、慶應の学部出身でもうちのビジネススクールに来てくれる社会人学生がいっぱいいるんですよ。で、あるときその一人が来て、「入山先生、今度僕早稲田大学ビジネススクール三田会って作りたいんですけど、顧問になってくれませんか?」と言うんです。いいよ、めっちゃ面白いじゃん!と言って、本当に作ったんですよ。で、(コロナ前は)飲み会とかやって、早稲田で福沢諭吉クイズとかやっているんですよ。それで、みんなで最後「若き血」を歌うんです、早稲田のそばの飲み屋で。それで誰かがテンション上がっちゃって、入山先生と慶應出身の誰かを対談させようといって、それであの山口周さんと対談したんです。山口さんも慶應出身なんです。で、なぜか早稲田大学ビジネススクール三田会の企画で、僕と山口さんが対談する、しかも早稲田の教室で、という異次元の企画をやったんです(笑)。この組織はいまや連合三田会にも入りました。

湧永:向こうのアメリカの大学にいたときにピッツバーグ三田会みたいなものに入っていなかったんですか?

入山:それはなかったですね。僕、実はあまり当時は愛校心が弱くて、むしろ今のほうがあると思います。昔は全然なかったんです。

湧永:早稲田にいるからこそ、というところもあったりするんですかね。

入山:あると思います。いまだに僕のアイデンティティは、早稲田もあるけど、慶應もアイデンティティは持っています。両方あるのを楽しんでいる、みたいな。

湧永:早稲田と慶應のアイデンティティってどんな違いがあるんですか?

入山:それはいい質問で、昔のいわゆる、慶應はお嬢ちゃんお坊ちゃんで、早稲田はバンカラという時代は完全に終了しているな、と思っています。今早稲田に来る学生の感じはほぼ慶應と変わらないです。いわゆる昔ながらの早稲田的な空気感は弱い感じです。だけど一方で、どちらかというと早稲田がいい意味で変わってきているなと思っているのは、国際化が進んできていることです。国際教養学部ができたりしているんですよね。今就職でもすごく人気があるんです。留学が義務だったりしますし、僕のいるビジネススクールも、学生の8割が留学生で、全然みんな日本語しゃべってないです。

湧永:海外にいるみたいですね。

入山:そうですね。なので、結構面白い状況になっています。起業家もどんどん出てきています。バンカラという元気は元気で、早稲田祭のときとかのやたら盛り上がるテンションとかはいまだにあります。早稲田っぽいノリはあるけど、高田馬場駅前で激しくゲロ吐きますみたいな、そういう感じはもう弱くなってきているんじゃないですかね。

湧永:逆に慶應は昔も今もあまり変わらない?

入山:そうですね。僕は今は慶應とあまり接点がないので十分わかってないですけど、慶應は三田とSFCで違いますよね。慶應は三田、SFC、医学部とかで違うというのが、いいところでもあるし課題だなとも思っているんです。僕自身は、SFCは今でもいろいろ面白いところもあると思っているんですけど、三田は横で見ている限り、あまり変革みたいなものが見えないのをちょっと心配しています。

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歩く経団連

湧永:これからというところではいかがですか?

入山:慶應出身者の方には「入山さんはいつか慶應に(教授として)帰ってくるんですよね?」というご質問をよく伺うんですけど(笑)、もちろん0パーセントではないですけど、いまは基本考えてないです。慶應はすごく好きですし、素晴らしいところだと思いますけど、今僕は早稲田で結構ハッピーなので、どちらかというと早稲田辞めるときはアメリカに行くときかな、みたいな。

湧永:そこはアメリカに行かれるんですね。

入山:わからないですけどね。もちろん簡単な話ではないので。でも僕はあまり先のことを決めないタイプなので、どうなるかわからないことを楽しんでいる、みたいな感じですかね。あとは、僕自身は現状すごくハッピーで、本当に幸せで、やりたいことしかやってないんです。だから本当にそれは運に恵まれているなと思います。

石井:これからはどういった研究をされていきたいというのはありますか?

入山:今、社外取締役的なやつを4社やっているんですね。いい加減にやりたくないので、結構一生懸命やっています。それが今はやりがいもあるしすごく楽しくて、ありがたいことなんですけど、いろいろな業界、大手から中堅から地方の会社から、ベンチャーとも仲いいし、VCファンドの顧問もやっています。なので最近は「歩く経団連」とか言われてます(笑)。

 だから僕がアメリカから帰ってきてからの変遷としては、最初は早稲田のビジネススクールに来て、研究もやって、教育もバリバリやりました。それで意外と評価していただいて、だんだんメディアの仕事が増えてきて、T Vやラジオとか雑誌とかに出るようになって、講演も増えてきて、そういう外向きの仕事がすごく増えてきたんです。そして今度はいろいろな経営者さんと仲よくなってきて、経営相談をいただいたり、社外取の仕事を、本当にありがたいことに多くオファーをいただいたんです。それをやってみると、初めてやったときは全然どうしようもなかったんですけど、今は多少は経験値があるので、この会社ではこういう貢献の仕方をしようかなとか、考えながら経営陣のみなさんに貢献しようとしてますね。もちろん社外取締役なので株主への貢献は当然ですが。例えばある会社では、社長に唯一反対する役割を務めています。

湧永:それは社長はとても助かるでしょうね。

入山:その会社では、僕が反対すると、その社長さんが僕への説明のために自分の考えを深く言語化してくれるんです。「皆さん、僕はこの議案に反対です。なんでこれをやりたいのか教えて」と言うと、それに応えるために社長さんも初めて言語化するんです。それをほかの役員さんも聞いて、ああ、社長はそういうことをやりたかったのね、みたいな。

湧永:そういうのは絶対必要ですよね。反対されることでもっと深く考えて、言語化しますもんね。

入山:そういう意味では、多少は貢献できているかなと思っています。その会社では僕しか多分社長に反対しそうな人間がいないんですよ(笑)。だからそれぞれの会社の事情に合わせて、自分の役割や出す価値を考えて変えてやっています。別の会社だと営業の手伝いをしようとか。

湧永:世界中に人脈がありますもんね。 入山:そうですね。今は本当に面白い仕事がいっぱい来るので、ラッキーだなと思っています。こういうふうに世の中変えたいとか、自分がこうなりたいというのは、アメリカに10年いたことで結構実現できちゃったので、今はどちらかというと、当面楽しんでいこうかな、という感じですね。もしかしたらまたやがて、20年前に思い切ってアメリカに行ったときみたいに、「全てを捨ててこれだけをやりたい」っていうのがあるかもしれないですけど。

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これからのオフィスの在り方、偶発性の出会いを求めて

石井:入山さんのベストセラーの「世界標準の経営理論」にあったんですけど、これからは知の探索が必要だということで、オンラインでのコミュニケーションだけじゃなくて、フェイストゥフェイスのリアルなコミュニケーションによってみんなで腹落ちして、知を共有することが大切だということをおっしゃっていて。で、私が伺いたかったのが、リモートワークが進んでいるんですけども、その中でオフィス不要論も出ているんですけども、そういう流れって、これからの働き方ってどのように変わってくるのかなと。

入山:ありがとうございます。それはすごく大事な質問で、これが正解というわけじゃないんですけど、まさにコロナになったときに大手不動産会社から同じ質問を受けて、そのときに僕が言ったのは、「オフィスの役割が変わります」という話をしたんです。なくなりはしないんですけど役割はすごく変わるという話をしました。これは一つのものの考え方なんですけど、五感で考えるといい、という話をしたんです。

五感ってあるじゃないですか。これからデジタル技術はもっと進んで、今日もこうやってZoomでお話させていただいていますけど、これよりももっといい性能のやつがすぐに出てくるので、デジタルのコミュニケーション技術はもっと進むわけです。だけどそこで奪われるのって当面は視覚と聴覚なんです。逆に言うと、味覚と嗅覚と触覚って当面取られないんですよね。例えば僕がここでどんなにおいしいものを食べていても、その味を今石井さんに伝える技術ってないじゃないですか。なので、味覚、触覚、嗅覚は当面取られないから、逆にいうと、リアルな場所というのは、味覚、触覚、嗅覚か、あるいは五感全体を感じるための場所になります、ということを言っているんです。で、組織をまとめるときって、もちろんオンライン上でできる部分もあるんですけど、本当に共感性を持つときって五感が不可欠なので、だからそういう意味でのオフィスのあり方って絶対残るはずなんですね。普段はオンラインで議論したりできるようになったけど、リアルでないと本当の共感性は作れないんです。なので、僕はそういう意味でのリアルの場所は絶対に残ると思います。

あと偶発性の出会いですね。半年ぐらい前のニュースですけど、実は今、facebookとAmazonって、ニューヨークのマンハッタンの一等地のビルの場所を買っているんです。それは、あのGAFAがリアルな場所を必要だと思っているからなんです。ただそこでのリアルな場所というのはクローズな場所というよりはオープンな場所になるんです。通りすがりの人でも入れる、みたいな。そういうものを作ることで、いろいろな業界の人が見に来て、そこで偶然の出会いが起きて、みたいな。

石井:リアルな交流の場は大切なわけですね。

入山:はい。とはいえ役割は大きく変わります。かなりの仕事はオンラインでできるので。

湧永:ハイブリットとよく言われていますけど、オンラインのところと、実際に五感をともにするのは、それを使い分けていくということですね。あと、偶発性というか、知らない人と出会うのってオンラインでは難しいですよね。

入山:難しいですよね。どうしても仕組まれてしまうので。

湧永:私、リアルの本屋さんをぐるっと回るのが結構好きで、偶然置いてあった、全然知らない本ふと目に入って、買っちゃおう、みたいな。

入山:めっちゃいいですね。僕それ、世界標準の経営理論の13章で全く同じこと書いています。知の探索で一番大事なのは本屋に行って、僕の場合は目をつぶって、知らないコーナーに行って、本をつかんだらそれを絶対買って1冊読み切りなさい、と書いたんですよ。

湧永:全然関係ないコーナーで、これなんだろう?というのがネットでは難しいなと思っていたんです。今日はいいお言葉をもらいました。ありがとうございます。では最後、慶應の同期に一言いただいてそれで締めたいと思います。

入山:今慶應の同期って皆さん40代後半だと思うので、日本の経済とか、本当にビジネスの中心にいる人とか、ちょうどそこへ入りかかっている方々がほとんどだと思うんですよね。そういう意味では、天下の慶應ですから、われわれの世代が、どこまでできるかわからないですけど、こういうコロナという難局にわれわれが今いるからこそ、われわれが頑張って、若い世代がより明るい未来を作れるようにしていくのがすごく大事だと思うんです。そのためには楽しく仕事をすることが大事かなと思っているので、楽しくやりながら、慶應を出たというプライドを持って頑張っていきましょうということだと僕は思います。

湧永:ありがとうございました。

石井:ありがとうございました。