私の履歴書 シリーズ4  湧永 寛仁 :逃れられない宿命で始めた25周年記念事業実行委員長

(インタビューアー:五十嵐 幹(いがらし みき))

湧永寛仁(わくながかんじ)
湧永製薬株式会社代表取締役社長。 公益財団法人 日本ハンドボール協会会長。1973年大阪生まれ。

慶應義塾大学経済学部卒。大学卒業後、ソフトバンク株式会社に入社。 1999年に退職後、湧永製薬株式会社へ。 2007年に湧永製薬株式会社代表取締役社長に就任し現在に至る。 2017年10月に日本ハンドボール協会会長に就任。 現在1996年三田会25周年記念事業実行委員会委員長を務める。

実行委員長就任は突然に。

五十嵐:今日は我が25周年の実行委員長の湧永さんにインタビューをしたいと思います。まず最初にどんな経緯で実行委員長をやる事になったのかを教えてもらえますか。

湧永:福田君(広報委員長)のお店で25周年実行委員会の報告会と懇親会をするというお誘いで行ったんだよね。その場では某A君に委員長をお願いしようみたいな話が出てたけど本人があまりいい反応じゃないらしいっていう話が聞こえてきていて。そうしたら「ちょっと話いい?」って委員長への就任の事を言われて、そもそも俺1年大学で留年しているからアイデンティティー会員だし、お手伝いする事はするけどって言ったんだけど「誰もいないんだよ」って話で、皆も大変そうだった事もあって「他の誰も引き受けないならいいよ」って言ったらその場で「湧永君が受けてくれます」みたいな感じで決まってしまって。皆からは「湧永はいてくれるだけでいいから」って言ってはいたものの、実際ここまで大変だとは思っていなかった。

五十嵐:俺も5年前に開催した連合三田会のOB飲み会の感覚で行ったんだけどね。何も知らなかったから。

湧永:あの場に行ったのがミスだったね。委員長は壇上でちょっと挨拶するくらいの作業ボリュームかなと思っていたら想像以上に大変だったわ。

五十嵐:あまりにも大変すぎて逆に巻き込みづらくて。

湧永:今、記念Tシャツの販売・発送とかも行っているけど、五十嵐とほぼ同じパターンになっていると思う。

五十嵐:謎の秘密結社に勧誘された感じだったね。「実行はしっかりやるから心配ないよ」って言ってたからね。

湧永:全く同じ事言ってたよ。「気にしなくていいから」って。全然違いました。

五十嵐:慶應っぽい進め方だよねってゴスペラーズの北山君(慶応SFC)もインタビューで言ってたよ。SFCの教授になしくずし的に大学の講師をやらされるとか。

湧永:その話もすごいよね。授業内容は全部自分で考えなさいって。

五十嵐:そういう時だけ独立自尊を振りかざすもんね。でも慶應カルチャーで育ってるとそういうのばっかりだから慣れていて、まぁいいかって感じだね。そんな感じで決まったので、応諾する前は特に今回の記念事業には思いがなかったなと。

湧永:ないない。だってそもそも知らなかったもんね。

改めて気づかされる三田会のシステム、慶應カルチャー、多分野で活躍する同期。

五十嵐:卒業20周年の連合幹事の後にこういうイベントが準備されているのは当時知らなかったもんな。そういう流れで始めた湧永実行委員長ですが、現在はどういう気持ちですか?

湧永:本当に大変。でも逆に作り上げていく中で、慶應は色んな人がいるなと思う所があったし、運営で色々やっていると世の中でこんなにいっぱい多分野で同期が活躍している事実が自分にとってすごく刺激になって、慶應って改めてすごいなと思う所はあったよね。この三田会のいろんな卒業年度でのイベントのシステムもすごいなと思った。

五十嵐:やっぱり伝統校と言わしめるのは何らかのメカニズムが存在しているんだなって改めて思うよね。常に年齢を重ねても仲間と一緒に乗り越えないと行けないハードルがあって、それをみんなで乗り越えましょうみたいな。

湧永:三田会の人のつながりの強さの裏にはこういった仕組みがあるんだなっていうのはすごい勉強になったね。これが実行委員会に入らなかったら、単に大学から卒業式の招待状が届いて、寄付して終わりだったかもしれないけど、裏側に入ると色々見える所があるね。

五十嵐:俺も会社の企業理念とかを作る時に、やっぱりカルチャーってすごく大事だと思っていて、たまたま子どもの受験も重なって慶應のことを改めて勉強し直していたら、カルチャーの言葉の重みを改めて感じたね。「独立自尊」という言葉で人をここまで走らせるのかよみたいな。やっぱりカルチャーが言語化されてまた言語がカルチャーをさらに作っているみたいな流れと、実際に実行させる仕組みという観点で見ると自分で企業経営をやっているとすごく参考になる所があるんだよね。普通の会社経営だと給与を支払って仕事してもらうんだけど、この仕組みは無償で活動した上に寄付をするだからね。大学のカルチャーと大学時代の良い思い出だけでここまで実行させるすごい仕組みだなと思って。

湧永:言ってしまえばこちらは名簿を作業として集めてる。委託されているわけなのにお金受け取るどころか寄付の形でお金を払うわけだからね。それでみんな満足ってすごいなと思って。

五十嵐:そうだよね。そういう側面ではお金に換えられない価値がなかったらたぶんやらないよね。

湧永:それもあるね。そういうカルチャーを作っている慶應はまたすごいよね。

五十嵐:今回の実行委員会はなし崩しで始まったとはいえ、一緒にやる事で仲間が広がったり、当時の若かりし頃のいい事も悪い事もいっぱいあった上で、卒業25年経って1人前の大人になってから学園祭みたいな事をやってるわけなんだけれども、そういう共通体験があって童心に戻れるっていう感覚が気楽でいいよね。そういう側面では一つの出会いを通じて共通体験をさせていくって本当に会社の研修みたいな内容になっているね。

湧永:引き受けた以上は責任を持ってやるし、大同窓会にみんなで集まったらすごい感動、感激しちゃうだろうなって思う。

五十嵐:確かに社会人だと当然組織なんで縦からの指示命令で動く事があるんだけど、何も利害関係なく水平で物事を進めて動かしていくっていうのはちょっと違う動かし方だから、難しい所でもあるしこれができたら色んな可能性ができるんだろうなって事だとは思うんだよね。あとこの機会にやってなかったら体力なくてやってられないよね。

湧永:そうだね。卒業25周年はいいタイミングなんだろうな。それと、やっぱりリアルで合うことはとても重要だなと改めて思う所もある。名簿集めに何が苦労したかって、たぶんみんなでリアルに集まろうっていう場がないからだと思うんだよね。

五十嵐:やっぱり決起会の段階で300人ぐらいの人が1回でも集まっておけば、そこから1人に10人ぐらいの知り合いのつてが紐付いているから3000人くらいリーチすることができると思うんだよ。それが全く0から始めなければならなかったことが今回の実行委員会の辛さの始まりだね。

湧永:あと五十嵐もあったと思うけど、同期から招待状届いたら卒業式に行く行かないって話が飛んでくるわけじゃない。そして、久しぶりだからちょっと飲みに行こうぜとか話が盛り上がって、それで輪がどんどん広がったと思うんだよね。

五十嵐:確かに久しぶりの友達から連絡が来たらちょっと飲みに行こうかってなるからね。

湧永:やっぱりリアルに会うことの方が人と人との結び付きって深まるのかなと思って、Zoom飲み会だけじゃダメだったんだよね。結局臨場感と一体感なんだよね。実際人と会うことが本当に重要なんだなって感じた。

五十嵐:そうだね。実行委員会としての思いは、リアルに色んな人が集まってこれからの25年の関係を作っていく土台・きっかけになってくれればいいかなっていうのが一番の趣旨だと思うんだよね。だからいっぱい集まってほしいよね。

湧永:そうだね。

五十嵐:今回実行委員長湧永さんに焦点を当てるインタビューなのでこの際、本当にみんなに知っておいてほしいのは、今回の実行委員会の運営の費用は慶應大学側は損失補填してくれないっていう事実に気付いてほしいんだよね。様々な参加費用などは事前決済にしてほしいっていうのは僕らからのお願いかな(笑)。だからどうせ会に参加するなら、実行委員会にも積極的に参加してほしいなと思いますね。参加者全員が運営側に回ってくれるといいかなとは思います。

父の突然の死。卒業後、家業を引き継ぐためにやろうと決めたこと

五十嵐:実行委員会への就任した経緯と現時点での苦労話はわかりました。ここからは湧永って誰だと思ってる人もいると思うので簡単に自己紹介をお願いします。

湧永:湧永製薬というキヨーレオピンという滋養強壮剤を作っている会社の社長を2007年から務めています。慶應へは幼稚舎から入って、私の履歴書に登場したUZIとはその時同じクラスで、普通部時代はインタビュー企画「私の履歴書」に登場した森林君と同じクラスで、森林が出席番号45番で私が46番という並びでした。大学は経済学部で、卒業後、Softbankに入社し、営業の仕事を2年間してから、家業の湧永製薬に戻りました。2017年には日本ハンドボール協会の会長も務める事になって現在に至るという所です。部活は高校・大学とアイスホッケーをしていました。

五十嵐:早朝から練習する部活だよね。

湧永:その通り。

五十嵐:湧永が入社した当時のSoftbankはまだソフトウェアパッケージの販売が主流の頃だよね。

湧永:あの時はYahooに出資した時かな、あとコムデックスとかも買収してた。ソフトウェア流通とコンピューター関係の出版もやってて5つの柱って言ってたような気がするな。とにかくこれからのデジタル社会のインフラになるんだみたいな形でSoftbankが大きく変わる時期だった。

五十嵐:でも当時Softbankに入るのってまあまあ当時の慶應大学生にとってまだ勇気いる頃じゃない?

湧永:大学生の時に父親が亡くなったんだけど、その頃お世話になっていた方に、就職活動の相談をした時、Softbankを紹介してもらったんだよね。Softbankはそれまで知らなかったけど、情報を集めてみたらこんな面白い会社あるんだっていうのがあって、ここを受けてみようと思ったのがきっかけかな。2年間か3年間働いて家業の会社に戻る予定だったから、どうせだったらすごく成長していて、その企業の中では何が起きてるのかなっていうのを経験してみたかった。

五十嵐:修行のために行ったって事だね。

湧永:色々と勉強させてもらうという事で。

五十嵐:お父さんが大学時代に亡くなっちゃったっていう事なんだけども、元々は湧永製薬を引き継ぐ事が決まっていたのかな?

湧永:うちの親父は会社を継いでほしいとかは一言も言ってなかったけど、なんとなく自分自身としては将来湧永製薬で働くのかなって思ってた。ずっとアイスホッケーをやってたから当時は先の事なんか全然考えてなくて。

五十嵐:結構突然だったのかな?

湧永:突然電話掛かってきて、『亡くなった』って。

五十嵐:自分が大学生だったらこれから社会人になってゆっくり話そうかなってタイミングだもんね。

湧永:うちの親父はそういうつもりだったと思うんだけど、本当に青天の霹靂というかびっくりして。

五十嵐:思春期の大事な時期にお父さんが亡くなって、当然、湧永は創業者の孫だから重責も担ってるわけじゃない。普通の社会人になる人と心持ちが違うと思うんだよね。どういう心境で社会人になったのかも気になるんだよね。

湧永:34歳で社長に就任したんだけど、自分で勝手に30歳ぐらいで社長就任することを設定して、逆算して何をするべきかっていう事を考えたよ。21歳の時に親父が亡くなったから残り9年間しかないから、その間、何をしようかとか何が出来るかなとかを考えて色々やったのは覚えてる。

五十嵐:学生時代の湧永が30歳で社長になると決めたわけなんだけど、残りの9年間で何を達成しようという事で社会人を始めたの?

湧永:一番最初は簿記・財務諸表の勉強と、当時お世話になっていた経営者の方に1ヶ月に1回会って経営とはなんぞやみたいな事を勉強したり、ビジネススクールにも行こうと思ったり。それは海外なのか日本なのか通信なのか通学なのか色々選択肢はあったけど、一度社会人になってからの方がいいだろうなぁとか色々考えながら。

五十嵐:会計の勉強もしながらSoftbankでベンチャーのカルチャーや経験を積みながら2年後に湧永製薬へ入ったのかな?

湧永:そうだね。97年に卒業して99年から湧永製薬に戻った。初めは営業担当役員で入社し、その後、生産のトップも経験した上で社長に就任したかな。

五十嵐:大事な部門を2つ経験して社長になったわけだね。結局、ビジネススクールの留学は行ったの?

湧永:留学は結局行けなくて。会社に戻ってきたらそれなりに色々仕事が出てきて、1年2年海外行くのは難しいっていう事になったので、海外の通信でMBAを取ろうと思ってたけど日本語の方が理解が深まるなって思ってた時にちょうどグロービスと出会って、夜間授業でMBAを取ったの。

五十嵐:じゃグロービスの経営大学院もちゃんと卒業したんだ。

湧永:卒業しました。それまで結局簿記とかマーケティングとか人事とか色々な本は読んでたけど、体系的じゃなかったしフレームワークとかも知っているようで知らなかったし、独学だと自分の得た知識でディスカッションをする場もないわけじゃない。でもグロービスに行った事で経営を学びたい人や先生もいてディスカッションできたのはすごく良かった。

五十嵐:集中して一気に学ばないと頭に入らないよね。

湧永:グロービスに行き始めたのが2000年くらいからだったと思うのだけど、ちょうど自分の中で悩んでいるような事と似たようなケーススタディがいっぱい出てきて、悩みの本質は業界や規模の大きさが違ったとしてもだいたいみんな一緒なんだなと。学んだことをすぐに会社で実践したりもしました。色々な失敗もあったね。

五十嵐:課題に気付いても実行が99%だし、そもそもフィットするかわからないから難しいよね。

湧永:あの頃はとにかく新しい事を学んだらそれを試してみたくて、本当に色々悩んで失敗も多かったけど、試行錯誤の連続で楽しかったね。知識だけあっても実践する場がないと本当の経験にはならないし、様々な体験ができたのは良かったと思う。

五十嵐:そういう体験を経て、グロービス経営大学院を終えてから30歳で社長になったのかな?

湧永:やっぱり色々考えてなんだかんだ言って34歳で就任しました。

同じ時間を共有しているから、顔を知らなくても、たぶん、すぐに打ち解けられる。

五十嵐:それで満を持して湧永製薬の4代目社長が誕生したわけですね。4代目社長としてのプレッシャーはなかった?

湧永:そういうプレッシャーはなかったね。根拠のない自信があって絶対成功すると思っていたから。

五十嵐:そこは慶應生っぽいね。慶應生らしい能天気さというか、一方ではそれを育ちが良いっていう人もいるし、よく考えてないって言われるケースもあると思うけど、他の学校より若干物事を楽観視して捉える人が多い気がする。だって実行委員長のなり方も全くその通りじゃない。

湧永:全てうまくいくと考える傾向はあるよね。

五十嵐:でも慶應大学自体が明治時代に日本にとって新しいものを生み出すためにできた学校だから若干見通し甘くないと始められないし、守りの気質ではないよね。

湧永:守りの考えは全然ないね。みんなそういうカルチャーなるのって不思議だよね。

五十嵐:やっぱり他の学校と違う所は中学・高校は毎年修学旅行があるとか遊ぶ機会を通じての共通体験が多いじゃない。きちんと人間関係を作って、カルチャーの同質化が起きてくるのだろうね。慶應高校も800人くらい同級生がいたし、多様性の関係を許容しつつ仲間を大事にしていくカルチャーがあるような気がするね。

湧永:すごい時代だったよね。

五十嵐:明治時代からきちんと生き残ってるんだから継続していくきちんとした仕組みになってるんだろうね。実際、社会人になり、仕事をしていく中で慶應時代に学んだ事、身に付いた事って振り返ると何なんだろう?

湧永:逆に俺は慶應しか知らないからね。会社はSoftbankに入ってるからSoftbankはまず一つの基準になって湧永製薬と比較するわけだけど。

五十嵐:結構、両極端だよね。

湧永:180度違う会社というのも湧永製薬にずっと勤めている人だとその違いがピンとこないからね。俺は慶應でずっといたから、今五十嵐と話してて確かにそういう楽観的な所もあるんだけど、じゃあ慶應らしさって何かって実は自分の中ではよくわかってない所があるんだよね。

五十嵐:でもたぶん他の同級生も何らかの過去の経験から来る感覚で、他の環境で育った人と自分が違うから自分自身を慶應らしいよねっていう事を自覚しているんだと思うんだよね。だから比較対象としてグロービス大学院で同じ学びをした人達とかも参考になるかもしれないし。

湧永:当時のグロービス行く人はグロービスが走りだしてちょうど大きくなり始めた頃だったから、結構尖ってる人が多いイメージがあったね。

五十嵐:当時のグロービスはビジネス的にはイノベーター的な大学院だったもんね。

湧永:そういう意味では前向きな人が多かったよね。

五十嵐:確かにグロービス大学院行く人達はモチベーションも違うだろうね。ところで若い時の同級生に対する関わり方と今の年齢になって何か変化した事ある?

湧永:ないと思うなぁ。昔の関係のままで今まで来てるみたいな。

五十嵐:その昔っていつくらいの事?

湧永:それこそ幼稚舎、普通部、高校、大学とそれぞれのタイミングのイメージで。お互い色んな専門知識が身に付いていたり色んな経験を積んできているっていうのはあるけれども、本質的にはその頃の感覚で俺は付き合っている感じはするけどね。自分自身もみんなも中身全然変わってないよ。

五十嵐:確かに本質的な部分は何も変わってない気がする。

湧永:それこそずっと一緒なわけじゃない。良い所も悪い所も全部お互い知っているから変わる事ないし、6歳から一緒だから仮面被る必要ないからね。

五十嵐:見た目はおじさんだけど感覚的には昔の顔のイメージのまま会話してるもんね。

湧永:その頃の自分の小さい頃に戻れるっていうのも嬉しい感覚だよね。

五十嵐:そうだね。今回の同窓会の企画もそうなんだけど25年経って久々同期に会うという事もすごい良い機会かなと思ってて。

湧永:そうだね。あとたぶん慶應、さらには同期っていうのですぐ打ち解けられると思うんだよね。今度の同窓会で初めて会う人もいっぱいいる中で、でも話していったら共通の友人もいるし、まるで昔から知り合いみたいな感覚になれるんじゃないのかなと思う所はあるけどね。

五十嵐:前提がみんな一緒なので同じカルチャーで、同じ会話をしていて、言葉の表現と受け取る感覚にズレがないんだと思うよね。また、一方早稲田って面白い大学だなと思ってて、国内だと慶早戦とかでライバルだけど、海外だと三田会と稲門会はすごく仲良いじゃない。大学時代に違う立場で共通体験があるから、そういう付き合いになるんだろうね。

湧永:この慶應のカルチャーは本当にいいと思うし、そこに対して私は居心地の良さを感じてると思う。

二郎デビューは小学生の時、“タダ”だと勘違いしていた。

五十嵐:そういうのが長年培われてきてるというのはすごい大事だと思うし、これからも長く続けられるようになってほしいなと思うね。最後にラーメン二郎は湧永も行ってた?

湧永:二郎は小学生ぐらいの時にできたお店だと思うの。そもそも三田に住んでいて、歩いていたら、お店の屋根に「ただのラーメン、大盛りラーメン」って書いてあったのね。小学生の時に「えっ!ここのラーメン屋ってタダでラーメン出してくれるんだ」と思って、小学生であまりお金も持たないでどういうラーメン出るかわからなくて並んで食べに行った事があるんです。もちろんお金は取られたけど、お店の中では注文の仕方もわからないし、お前食べれるの?みたいな怪訝な目で見られた。

五十嵐:当時から同じ味だったの?

湧永:同じだったと思うなぁ。頼み方もわからないから一生懸命普通のラーメン下さいって言って。こいつ注文の仕方わかってないなぁっていう目で見られたんだけど、こっちも必死だもんね。周りがみんな暗号言ってるような感じだったから。その後食べたのは大学生になってからかな。ラーメン二郎が有名なのは知ってたけど、自分にとっては近所のラーメン屋というイメージの方が強いね。

五十嵐:今はネットがあるからすごい人気だもんね。

湧永:二郎っていう言葉が代名詞になってるのはすごいと思う。当時はそんなイメージなかった。大ダブルとかよく食べたなと思ったよ。会社の帰りに食べに行ったら普通サイズでも食べきれなくてショックだったもん。

大同窓会は脂の乗ったタイミングで同級生と会える貴重な機会。一致団結するきっかけに

五十嵐:燃費が良かったんだろうね。今日は湧永さんの人物像に焦点を当ててお話を聞いてきましたが、最後はこの25周年記念事業に対して掛ける熱意を一言聞いて締めようかなと思います。

湧永:25年目の節目でみんながリアルで集まれるだけですごい価値があるなっていうのが慶應の大同窓会だと思うので、そういう場を我々も設定できるようにがんばるし、今までの友人はそこでまた旧友関係を温めて、また新しい友達もできてこういう活躍している人もいるんだっていう所を確認できる場になったらいいと思う。やっぱり40代から50代って一番世の中の中心世代で、ちょうど卒業して25年くらいっていうのは本当に脂の乗っている時期だと思うので、そういう時に集まれるっていうのもすごく大きな意義があると思うので、是非皆さんに集まってほしいなと思ってます。

五十嵐:そうですよね。この25年目は何らかの人生の節目なんだろうね。人付き合いの転換点っていうか、別れるも進むのも一つの基準値になっていくとは思うよね。多くの同級生の中に自分が存在している事の実感を掴んでほしいよね。

湧永:そうだね。それにやっぱり慶應の人みんな優秀で、25年間色んな経験を積んでる。みんなすごいよ。

五十嵐:そういう事をお互い知る機会になってほしいよね。それでまた当時と違った新しい人間関係を構築してもらいながら、あとは当然脂が乗り切ってる世代になってきてるのと世の中に対しての影響力も持てる人達も増えてきてるので、一致団結して世の中を良くしていこうという気持ちになってほしいなとも思う。

湧永:全くその通りです。

五十嵐:ありがとうございました。

インタビューアー : 
五十嵐 幹(いがらし みき)
慶應義塾大学経済学部卒業
株式会社クロス・マーケティンググループ 
代表取締役社長兼CEO