私の履歴書 シリーズ6  伊藤 亜紀 :「女子高時代に培った『全力』 やりたいことは全部やる!」

(インタビューアー:湧永 寛仁・山上 淳)

伊藤 亜紀(いとう あき)

弁護士(片岡総合法律事務所)

1972年生まれ。広島県出身。慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒。卒業後、NHKへ入局。その後、独学で司法試験に合格し、弁護士へ。現在は、電子マネーやデジタル通貨系の法整備を専門としている

バイトもピアスも自由!先生の誕生日にはカラオケ大会 楽しかった慶應女子高時代
湧永:まず、どんなお子様であったのか、というところからお願いできますでしょうか。
伊藤:とても人見知りをしていまして、目立つこともせず友達をつくるのも苦手、そんな子どもでした。
湧永:はじめは人見知りだったんですね。でも、途中で何かきっかけがあってお話できるようになったということですか。
伊藤:私は父親の仕事の都合で小学校を3つ通っているんです。転校生って珍しいのでいろいろな人が話しかけてくれるじゃないですか。「転校生って何?」ぐらいの感じで迎えられて、みんながやたらちやほやしてくれたんですよ。そんな経験なかったですし、いつも端っこのほうにいましたから、それで調子に乗ってしまったのか、友達もたくさんできていろいろ楽しかったですね。人見知りをしなくなったのはたぶんそこからです。
湧永:慶應は女子高からですが、慶應を目指された理由は何ですか。
伊藤:2つ上の姉が通っていたんですよ。姉も女子高から入りまして、慶應女子ってものすごく自由なんですよ。それで、姉がすごく楽しそうで「もう絶対入りたい!」と思って目指しました。
湧永:「自由」とおっしゃいましたが、どの辺りでしょうか。
伊藤:本当に自由なんですよ。というのは、今は厳しくなっているのかもしれませんが、当時は、パーマや茶髪も大丈夫、ピアスもバイトも、特に厳しいことは言われませんでした。それプラス、自分の言いたいことは自由に主張することが当たり前な雰囲気でした。先生にも周りの友人にも。他の女子高もそうなのかもしれませんが、女子だけだと、かえって気を遣わずに逞しくなるのかもしれませんね。「この人たちは男子同士なのではないか」と思うぐらいあっけらかんと言いたいことを言ってケンカもしました。あとは、先生の誕生日のときは恒例で授業をつぶしてカラオケ大会をやるのも楽しかったです。
湧永:恒例!?それは自由ですね!
伊藤:あと、今はダメになってしまったと聞いていますが、ハロウィーンのときは全校生徒で仮装してきて、1限から5限まで仮装したまま受けるなど好きなことをさせてもらえたんですよね。だから、面白かったです。

山上:確か、十月祭ではクラス対抗で劇をするんですよね?
伊藤:そうです。クラス対抗で劇をします。十月祭も面白いですよ。大道具も夜遅くまで残って全部自分たちでつくるんです。全力投球なんですよ。それが楽しいんです!
山上:面白い。

大学時代にフィンランドでザリガニを食べ、アメリカで交通事故を経験
湧永:大学は法学部法律学科に進まれていますが、どんな学生でしたか。
伊藤:私は、日米学生会議にも参加しましたが、そういう活動ばかりをやっていました。そういうというのは何かと言うと、少しバイトをしてお金を貯めて短期留学へ行って、また帰ってきてバイトをして、みたいな。1年間休学してアメリカへも行ってきたんですね。あとは日本に外国人がたくさん来たら一緒にボランティアをしたり、そういうのが好きでしたね。
湧永:やはり海外に興味があったのですか。
伊藤:興味がありました。夢のまた夢でしたが「外交官になりたい」とそのときは思っていたんですよ。
湧永:何かきっかけがあったのですか。
伊藤:高校時代に2週間だけアメリカに短期留学に行ったんですよ。それがすごく楽しくて。元々英語は好きだったので、それでそのときから「絶対海外で仕事をするんだ」と思っていました。だから、大学時代は、変な子でしたね。例えば、ゼミの文集に最後一言ずつみんなで書くのですが、私は「リー・クアンユーに会いたい」と書いてあるんですね。シンガポールの初代首相で建国の父みたいな人で、国際政治的なところにすごく興味を持っていたんですよね。

湧永:大学時代の海外経験で、何か思い出はありますか。
伊藤:フィンランドに1カ月行っていたんですね。慶應にアイセックという国際交流サークルがありまして、そのメンバーではなかったんですけれども、アイセックの交換プログラムでフィンランドに行ってきました。そうすると、現地にも受け入れ学校があり、ホームステイするんですね。その家の住所と電話番号をきちんと交換するのですが、番号が間違っていて親に届かなかったので、いつまで経っても私の親は連絡が取れなくて、ものすごく心配したままずっと過ごしていたということがありました。ただ、私はそんなことは知りもしないので、ただ楽しく過ごしました。そして、フィンランドではザリガニを食べるんですよ。普通の紫っぽい色のザリガニ、あれが家庭料理で出てくるんですよ。姿煮というんですか、茹でたままそれがブワーッと出てきて、そんなのを食べたりしながら楽しく過ごしていましたが、私の両親は「連絡先、騙されたかもしれない」とてんやわんやだったらしいです。アメリカでは交通事故を起こしたり。
湧永:それも大変じゃないですか。
伊藤:田舎の道をチョコレートを食べながらスーッと運転していたんですよ。そしたらチョコレートが落ちて、左手で拾ったときにガーッとそのまま馬鹿みたいにハンドルを左に動かしてしまって、狭い道で道路脇に停まっていた庭師の方のトラックに自分でぶつかってしまいました。自分の車は大破しましたけれども、庭師のトラックは大丈夫で自損だけだったので、許してもらえました。たぶん、英語の通じない若い日本人の女性ってことで、諦めてくれたんだと思います。自分の車は廃車になりました。
湧永:廃車に!?それは大変でしたね。話は変わりますが、日米学生会議のエピソードって何かありますか。
伊藤:日米学生会議は真面目に語る良い機会でしたね。みんなとにかく、ものすごく語ります。合宿しながら、いろいろなところへ行きながら議論をするんですけれども、皆が皆自分の意見を持っている。すごく真面目に主張するんですよ。例えば、原爆投下は正しかったかどうかみたいなことを議論しました。
湧永:そういう議論ですか。
伊藤:そうです。原爆は正しかったという意見がアメリカであることは知っていても、本当に普通の同世代の学生が、それを本気で日本人に言ってくるというのが衝撃でしたね。教育などの環境の違いでこんなに考え方も変わるのだなと思いました。

NHKの仕事は追い続ける“全力感”
湧永:今度は卒業後の話に移っていきたいと思います。NHKに就職されていらっしゃいますが、なぜNHKだったのでしょうか。
伊藤:途中まで外交官を目指していて勉強したのですが挫折して、その後、JETRO(日本貿易振興機構)やOECF(海外経済協力基金、現在は国際協力銀行)など海外関係の政府系機関を受けましたが、軒並み落ちたんです。ただ、マスコミも海外に行ってやり取りをしていくという意味では国際部の記者というのも一つの選択肢としてありまして、マスコミも受けていました。それでNHKに入りました。
湧永:やはりいろいろな世界の動向を知りたいということだったのですね。NHK時代は振り返ってみていかがでしたか。
伊藤:NHKはすごく面白いところで、特に記者の人とかディレクターの人って仕事が大好きなんです。何をおいても仕事に全力をかけていて、面白いネタがないかをいつも探しているんですよ。だから、周りにいる人がものすごい面白いんですね。あの「全力感」は、最初に社会人になったときに仕事の姿勢として一つこういう働き方があることを知れたという意味ではNHKに入ったのはすごくよかったです。今の時代はたぶん流行らないんだろうと思いますけれども、夫がNHKですが、全力感は今も結構みんなそうなんですよね。とにかく仕事が好きなんです。
湧永:いい記事、いい時事問題をひたすら追いかけていくみたいな感じですか。
伊藤:そうです。ひたすら自分が興味を持ったものがあったら追いかける。プライベートの時間もそれをやることが別に苦にならないというか。
湧永:伊藤さんも、例えば、いくつもの時事というか、事件だったり何だったり、いろいろなことをずっと追いかけている感じでしたか?
伊藤:そうですね。そうは言ってもニュースは出さないといけませんので、日々何かあったら、山火事や事故などの日々の取材をしつつ、テーマを探すことになります。当時、一番興味を持っていたのは、外国人の無国籍の子どもの問題です。今はだいぶ光が当たっていますけれども、無国籍の子どもは把握されないから本当に教育も何も受ける機会がなく、そのまま放置され続けている子がいるというのが気になっていました。たまたまそういう子供たちや子供たちを支援している方々に出会って、時間があるときに話を聞いたりしていました。

“転勤”があっても続けられる仕事として弁護士に 2年の独学で司法試験を突破
湧永: NHKの記者から弁護士になられていらっしゃいますよね。
伊藤:実は、NHKのときに弁護士になりたくてなったわけではないんですよ。NHKはすごい楽しかったから辞めたくなかったんです。でも、当時のNHKって結婚すると同じ支局の同じ部署には行けなかったんですね。うちの主人が同じ記者でしたので、そうすると全国転勤になってしまっていつ一緒に住めるか分からない状況になるので、寿退社で辞めまして、そこから弁護士です。
湧永:寿退社後に、独学で司法試験に通られていますよね。
伊藤:結婚直後に夫が長崎に転勤になったんですよ。
山上:伊藤さんは一緒に行ったんですよね?
伊藤:そうです。一緒に行かないと生計を立てられませんし、専業主婦だから一緒に行かないと駄目じゃないですか。ところが、長崎には法学部もなくて司法試験予備校も何もないので通信教育様様でした。
湧永:そもそも、どうして弁護士になろうと思ったのですか。
伊藤:ほかの仕事をたくさん考えて探しましたが、転勤が前提でしたので、どこへ行ってもできる仕事でないと駄目というふうになって、それがきっかけです。
山上:すごいですね。
湧永:何年ぐらいで合格したのですか。
伊藤:2年です。
山上:素晴らしいです。

離婚の危機に瀕し企業法務の道へ そこで金融分野に出会いどっぷりハマる
湧永:弁護士もいろいろな専門があると思いますが、初めは何の弁護士だったのですか。
伊藤:初めは大手の法律事務所で、民事再生や訴訟などを担当していました。大きな事務所ですが、中でも、国内の訴訟案件をやっていて、「バリバリ闘う系の部署に入れてくれ」と言って、文字通り闘っていました。NHKのときに、仕事はワークライフバランスではなくて、全体として人生を楽しめれば別にそれでいい、どんな仕事でも、どうせ9時から5時まで時間が取られるなら全力をかけられる仕事がいいと思い、当時の法律事務所も同じ考えで、それが合っていたのだと思います。
湧永:スタートで民事などをされていて、そのあと金融系に、というところはどのような経緯ですか。
伊藤:実は、その後すぐに大手の法律事務所を辞めたのですが、それもやはり家庭の事情です。とにかく当時は、本当にワークライフバランスがなく、例えば、民事再生をやっているときは、土日も絶対仕事なんです。日曜日に、事務所で仕事をしていたら、夫から「もう嫌だ」というメールが来たんですよ。タイトルが「もう嫌だ」で本文なしのメールでした。私は本当に仕事ばかりで、そのとき夫が家で1人で洗濯してくれていたんですね。当時の私はお風呂で文庫本を読むのが唯一のリラックスだったんですが、文庫本が洗濯機の中に落ちてしまったみたいで、夫が洗濯をしてくれたときに文庫本も洗濯されてバラバラの紙が洗濯物にたくさんくっついて大惨事だったようです。それで夫が「もうこんな暮らし嫌だ!」と思ったらしくて、「もう嫌だ」とメールが送られてきて、「こんな暮らしだったら離婚する」と言われて、「いやいや、それはやめてくれ」と言って、事務所を辞めました。
湧永:いやいや。それこそご主人も全力で仕事をされる方で、お互い全力でやってこられた。でも、伊藤さんはたぶんものすごい全力で、そのNHKのご主人を上回るほどだったのですね。
伊藤:そうですね。その後は、知り合いの紹介で家の近所にある個人事務所に入れてもらって、一般民事、それこそ債務整理や離婚などをやらせてもらう期間が1年半ぐらいありましたね。
湧永:一般民事的なものに変わられたのですね。
伊藤:はい。事務所に拘束される時間は激減しました。ただ、私は一般民事的なものは逆に、のめり込んでしまうんですよ。ずっとのめり込んで、朝起きてからも「あの人、今も泣いているかもしれない」と思ってしまうので、もっと人生経験を積んでからやらないとこれは大変だと思いまして。それで、企業法務をもう一度やってみたいと思いました。企業法務は、あとからやろうと思っても突然始められないんですよ。新人で弁護士を始めて、いきなりその人に企業法務の依頼が来るわけではありません。だから、若いというか、期が浅いときに先輩弁護士から学んで蓄積を持っておかないと、あとでやってみようと思ってもできないと思ったんです。たぶん一般民事も若い頃から経験を積んだほうがより良い弁護ができるのだと思いますが、あとからでも学び直せると信じて、一般民事は一旦置いておいて、企業法務をしようと思いました。現在所属している片岡総合法律事務所は金融にすごく特化していたんです。
湧永:それで電子マネーに。それこそ一番黎明期ですよね。
伊藤:電子マネーは本当に運がよくて巡り合わせでした。今の事務所の所長が電子マネーを扱い始めたところだったんですよ。実は、私が「電子マネーをやりたい」と言って入ったわけではなくて、所長から突然「プリカ法やってる?」と言われたんです。プリペイドカード法という法律が当時ありまして、商品券やプリペイドカードを規制している法律が、その後電子マネーの法律になるんです。当時、そんな聞いたこともない超ニッチな分野を所長がやっていまして、「やる?」と言われて、「何ですか、それ?」から入りました。黎明期だったからこそだと思いますが、やってみたら業界を大きくしようと前向きに取り組む人がたくさんいて面白かったです。
湧永:当時、電子マネーはまだなかったですよね?
伊藤:そうですね。入った頃はまだほとんどなかったと思います。ちょうどその頃、同時期にSuica(スイカ)やWAON(ワオン)、Edy(エディ)など初期の電子マネーが出たばかりでした。Edyは使うとシャリーンという音がするんですけれども、シャリーンはこういう議論をしてシャリーンになったんだとか、業界の勉強会でそんな話を聞いたり、面白い方々がたくさんいて、それでどんどんのめりこんでいきましたね。新しい分野は法律がないじゃないですか。だから、それを法律的に考えると、例えば、シャリーンと音がしたときに弁済が完了して売買代金債権がなくなるとか、そういうタイミングって重要なんですけれども、そういうのを考えていくのがすごく面白かったですね。それでどっぷりハマって今に至っています。
湧永:大変失礼な質問ですけれども、ご主人は民事から企業法務になってちょっと休めるかなと思っていたのに、さらに寝られなくなってしまったのですね。
伊藤:そうですね。主人もたぶん変わりましたね(笑)。「もうしょうがないわ、こいつは」という感じですね。結婚して15年ぐらい、たぶんラーメン2回しかつくってくれなかった主人が、今は普通にご飯をつくってくれるので、変わりましたね。ありがたいことですね(笑)。

電子マネー、仮想通貨、デジタル通貨… ものすごく進んでいるのはケニア
湧永:それこそ整備しなくてはいけない法律が山ほどあるのではないですか。
伊藤:山ほどあると思います。それで、今、業界団体がいろいろな要望を出しています。例えば給与の電子マネーでの受け取りの仕組みを作りたいという企業が要望を出す場合に、論点は何か、どうやって解決していくのかを一緒に考えて法改正の要望を出したりしています。面白いですね。
湧永:中国は結構キャッシュレスがものすごく進んでいるという話があります。そうすると中国の法律も研究されているのですか。
伊藤:いいえ。そこはやはりまだハードルが高いですね。中国のアリペイやWeChatという電子マネーがありまして、中国の電子マネーと繋ぐ依頼もありますが、やはり中国の法制度とそれに基づいた中国語で書かれた規約は現地の先生に任せますね。
山上:3年ぐらい前の話ですが、中国でホームレスにあげるのもWeChatでピコピコとしていましたからやはりすごいなと思いましたが、それは3年ぐらい前だからまたさらに進んでいるのかもしれませんね。
伊藤:そうですね。もう中国は中央銀行がデジタル人民元の実験をずっとやっています。日本も実験をやろうとしていますが、なかなかまだ進みませんね。
湧永:たぶんアメリカも進んでいないですよね。
伊藤:そうです。アメリカは逆に暗号資産(仮想通貨)のほうが結構進んでいます。
山上:アメリカは、お金に関してキャッシュ派と電子マネーや仮想通貨派の二極に分かれていると思います。たとえば電車の料金支払いシステムはいつまでたっても電子化されなかったりして、電子マネー先進国なのに・・とこれは驚いたんです。僕にとっては結構衝撃でした。
伊藤:キャッシュレスという意味で進んでいるのは、たぶんケニアです。
山上:ケニアですか。
伊藤:ケニアは銀行口座が普及していなかったんですね。普及する前にボーダフォンの携帯端末が入ったので、それでM-PESA(エムペサ)という携帯端末での決済が広がって、たぶん一番早く浸透していたのがケニアだと思います。日本は逆に銀行預金をみんな持っているからキャッシュレス化がなかなか難しいとは言われています。
湧永:伊藤さんはこれからも電子マネーやデジタル通貨系の法律で進んでいく感じでいらっしゃるんでしょうか。
伊藤:そうですね。弁護士と言っても、私は裁判所にほとんど行かないんですね。普段、契約書や規約のドラフトを見たり、新しいビジネスを立ち上げるお手伝いで法規制をどうするかとか、システムをどう組んだらいいかとか、そういうことばかりやっています。そういう仕事は裁判官や検察官ではできなくて、弁護士の仕事は幅が広いんですね。弁護士だったからこそ今の仕事ができているので、また何か新しいことができたらいいなと思っています。今はデジタル通貨がすごく面白いですけれども。
湧永:これからもそういったインフラ、特に新しい社会インフラのところをチャンスがあればどんどんやっていきたいということですね。
伊藤:やっていきたいですね。

「これからですよね!」
湧永:慶應での経験が今の自分の仕事で役立っているとか、プラスになっているなとか、そういうのはありますか?
伊藤:「やりたいことは全部やる!」というのがあります。慶應女子高のときにみんな全力でやりたいことは全部やっていたんです。そのときにそういう生き方を学んだので、そこからですかね、それは大きいです。
湧永:今、伊藤さんのお話を伺ってもすべて全力ですね。
伊藤:はい。全力です。いい意味でも悪い意味でも「一生懸命生きてるよね」ってよく言われます。
湧永:それは、女子高魂みたいなところなんですか。
伊藤:どうなんでしょうね。私はたまたま女子高で出会った友達が衝撃的なぐらいエネルギッシュな人たちでした。あと、よく皆さんもおっしゃると思いますが、どこへ行っても慶應の人っていますよね。仕事の相手でも「慶應ですか」みたいので親しくなれるというのはすごくあります。本当に職業柄いろいろな方に会うじゃないですか。
湧永:それは確かに、やはりほかの大学ではそこまではない気がしますね。
伊藤:そう思いますね。慶應だというだけですごく優しくしてくださる方もいるではないですか。
山上:いますね(笑)。
湧永:分かります。すごい面倒見がよくなってくれる方とかいます。確かに慶應はそういう部分はありがたいですよね。
伊藤:ありがたいですね。
湧永:文化みたいのがあって、われわれも後輩につい優しくしますね。
伊藤:うれしくなりますよね。慶應ですかって、若い人がいてもうれしくなりますね。
湧永:最後に、これからに向けて、そして同級生に向けてメッセージをお願いします。
伊藤:これからも「やりたいことは全部やる!」という気でいきたいなと思っています。同級生は、みんなもうすぐ50歳になるじゃないですか。「これからですよね!」と言いたいです。
湧永:素晴らしいです!今日はどうもありがとうございました。
山上:ありがとうございました。
伊藤:ありがとうございました。