私の履歴書 シリーズ5 しばはし聡子 :「離婚してもふたりで子育て「共同養育」があたり前な社会にするために」
(インタビューアー:湧永 寛仁・山上 淳)
しばはし聡子(しばはしさとこ)
一般社団法人りむすび代表
1974年生まれ。東京都出身横浜育ち。横浜翠嵐高校、慶應義塾大学法学部法律学科卒。1996年電気事業連合会入社。原子力広報、会長秘書に従事。2017年退職後、一般社団法人りむすびを設立。離婚後も両親で子育てをする共同養育支援事業を行う。TV新聞等メディア出演多数。 著書:「離婚の新常識!別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育」
推薦で入った慶應 法律が全くわからずテストでは俳句を書いたことも
湧永:まず、しばはしさんはどんなお子様でいらっしゃったのか、というところからスタートしていきたいと思います。
しばはし:幼少期から小学生にかけては人見知りで友達が家に迎えにきてくれてもカーテンに隠れているような子でした。中学に入り勉強が楽しくなると自信がついて交友関係も積極的になりましたね。
湧永:慶應法学部には受験で入られたのでしょうか。
しばはし:指定校推薦です。横浜翠嵐高校には、法学部法律学科、政治学科、商学部、理工学部の推薦枠があって文系は6月早々に決まるんですよね。当時理系クラスにいたのですが、早く決めたかったので法学部を選びました。
湧永:6月というのは魅力的ですね。
しばはし:はい。ただ、面談の際にやっちゃったんですよね。三田キャンパスで面談があったのですが、電車に乗り間違えて1時間遅刻してしまったんです。田町に行くはずが気がついたら八王子方面に行ってしまい、泣きの面談をしたのを覚えています。無事合格が決まると、そこから一気に勉強をしなくなり怠惰な人生になりました。彼氏を作ったり授業をさぼったりして先生に何回も怒られましたが、ずっと勉強ばかりしていた私にとっては、初めて青春を過ごしているようで楽しかったですね。
湧永:大学に入ってから学業の方はどうでしたか?
しばはし:初回の授業からついていけませんでした。忘れもしない憲法の授業だったのですが、教科書に沿った講義ではなくてノートの取り方がわからず初日から脱落でした。一学期から成績も悪かったですし、クラスでもそれは有名でした。民法のテストではわからなさすぎて、「山をはり、山はりすぎて、プリントの山」という俳句を答案用紙に書いて提出したらBだったことがあります。一番成績が良かったのがそれでした(笑)。
湧永:サークルはなにかやっていましたか。
しばはし:サニーテニスクラブに入っていました。テニスサークルの中では厳しいところで、3年生で役員になった時にリタイアをしてしまったんですよね。なので、大学の友人は1,2年のクラスの友達が今も続いている感じです。
湧永:ゼミは何を専攻しましたか。
しばはし:会社法です。法学部の中で一番入りやすかったゼミでした。憲法も民法もわからない私に会社法は酷すぎましたね。結局、法律を何一つ覚えずに卒業しました。今思うと学費が本当にもったいなかったです。今の活動は法律が関わってくるので、特に民法は関心深いですね。
大手町OL時代 原子力部で吉田昌郎さんと一緒にお仕事も
湧永:卒業後はエネルギー業界に勤務されていましたね。色々な就職活動をされて最終的にエネルギー業界だと思うのですが、その辺りもお伺いできますか。
しばはし:両親が東京電力だったので東電を受けたらあっさり落ちてしまいました。その後就職活動するもうだつが上がらなかったのですが、大手町にある電気事業連合会という業界団体から声がかかり就職が決まりました。
湧永:そのような団体は色々な会社の出向の方が来られて数年ごとに交代していくと思うのですが、初めからそういうところに入社されるのは珍しいですね。
しばはし:両親のおかげですね。電力各社からエースが出向してきているので職場の環境も良かったです。新入社員の時から原子力広報をやらせてもらえたり、上司や新聞記者と毎日飲んで騒いで、とても楽しい会社員生活でした。
湧永:原子力の広報をやっていたのですか。
しばはし:はい。原子力部にも3年間いました。一緒に働いていたのが、福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎さんです。映画にもなり渡辺謙さんが熱演されていましたね。映画のとおり親分肌で「マーク」という愛称でみんなに慕われていました。よく飲みにも行きましたね。テレビで事故対応をしている姿を見て心配しながらも「こんな非常時にマークさんが所長で本当によかった」と仲間で話していました。
湧永:それだけ頼りになる方だったのですね。
しばはし:だからこそ生きていてほしかったですね。事故の間もメールのやりとりをしたり手紙を送ったりしていたのですが、お会いできないまま亡くなってしまいました。無念です。
湧永:しばはしさんから3.11の話が出てくるとは思っていませんでした。20年間ずっと連合会に勤められていたんですね。
しばはし:はい。3.11の頃から退職時まで秘書をやっていました。職場には慶應の同期もいましたね。
離婚を経験。実体験を発信したところ反響があり、脱サラして独立
しばはし:40歳で離婚をしました。私は夫と関わりたくないから子どもと関わらせたくないと思っていました。夫のことを嫌だというオーラを子どもに見せてしまったんです。そのせいで小学校4年生だった息子は父親の話を一切家でもしなくなりました。
1年ほど経ち、このままではいけないと思い、夫に「ご飯に連れて行ってあげてください」と初めて私からメールしました。すると「ありがとう!喜んで」と返事が来て一気に雪解けしたんです。夫と向き合うことで自分自身も楽になり、息子もパパの話をしてくるようになったんですよね。
離婚すれば縁が切れると思っていましたし、息子が会いたいと言わない限りは会わせなくてもいいと思っていたのですが、息子は私の顔色を見て会いたいなんて言わなかったんです。
そこで、離婚をしても親子関係は続くから争わずに親同士の関係を作ることが大事ということを発信しようと思い始めて、ブログを書き始めたんです。
湧永:それは要するに、「りむすび」の前身となるところでしょうか。
しばはし:そうです。ブログを書いたり、離婚夫婦カウンセラーの資格を取って相談に乗ったりしていたのですが、どんどんニーズが高くなっていったんです。体験談を話してほしいと講演会に呼ばれるようになりました。初回の登壇はいきなり国会議員の横でのパネラーで声が震えました。これは社会問題なんだなと実感しましたね。
「りむすび」の活動のプライオリティがあがってきたため、自分を必要としている活動をやりたいという思いから、2017年6月に退職し独立しました。
湧永:起業の際は協力してくれた方もいたのですか?
しばはし:いえ。相談した人はいましたが起業も活動もひとりでした。必要としてくれている方々がいたので不安はありませんでしたね。定款づくりから商標登録、ホームページを作るのもすべて自分でやってみました。
「りむすび」の事業は、相談対応以外に面会交流支援という業務もあるんです。父母が顔を合わせられない場合、同居親からお子さんをお預かりして、別居親の元へ連れて行き付き添う業務なのですが、葛藤高い夫婦において非常にニーズが高いんですよね。このサポートへの依頼者が増え対応しきれなくなったのとリスクヘッジのために仕組みづくりをして人材育成をしました。今ではコアメンバー3名、アシスタント23名がいて、私は現場を離れ共同養育の普及活動に専念しています。
また、共同養育実践に向けたオンラインサロンを運営していて、全国や海外から123名の仲間が集い、交流しています。
湧永:ブログも読ませていただいたのですが、男性からの相談も多いのですね。個別でしばはしさんに直接お話を伺いたいという人もきっといらっしゃいますよね。
しばはし:そうですね。ご相談者は、ある日突然子どもを連れて奥さんがいなくなってしまったという男性が7割、会わせたくないと思っている女性が2割。最近では、「離婚もしたいし育児分担したいから共同養育したい」という女性の相談も増えてきました。
湧永:共同養育という考え方が広まってきたということですよね。
しばはし:離婚したいけど子どもへのダメージを心配する方にとっては共同養育は離婚のハードルを下げる要素となりますね。一方で、変わらず多いご相談者は子どもに会えない男性なのですが、高学歴、高収入、社会的地位がある、理系の男性が多いんです。妻からモラハラと言われやすいのと妻側の弁護士にとっては高収入の夫は餌食になりやすいんですよね。
湧永:何に気を付ければ良いのか、男性陣にアドバイスをもらえますか。
しばはし:奥さまが文句を言っているうちは良いですが、何も言わなくなったら黄色信号です。何も言わない=安定して文句がないということではなく、言っても無駄だとあきらめていて虎視淡々と別居に向けて段取りしている可能性も。
山上:私の同級生もそのパターンです。医者なのですが、突然奥さんが子どもを連れて田舎に帰ってしまって、会わせてもらえないそうです。どれだけお金を取られているかは分からないですが、子どもに会えないのが一番辛いと言っていましたね。
しばはし:そこで、「子どもに会わせないなんて許さない!連れ去りだ!」と男性は拳を上げがちです。「戦うぞ!妻をやっつけるぞ!」と正論を振りかざし理論武装するとさらに悪化するんですよね。それよりも、子どもを連れて家を出るほど辛かった妻の気持ちに初期に寄り添うかどうかで明暗は決まります。まさに北風と太陽ですね。
良好な婚姻生活に必要なことは“日々の感謝” いらぬアドバイスは逆効果
湧永:結婚生活で気を付けるポイントを教えてもらいたいです。
しばはし:大事なポイントは日々の感謝と尊重です。他者には配慮できるのに、妻への配慮を後回しにしがちなことってありませんか。まずは日々感謝を伝えること。そして妻の意向を尊重すること。話を聞いてるようでいて結局妻の意向を尊重せず、自分の思い通りにするのも要注意。妻の「不満のスタンプカード」はたまっていき最後のポイントが押された瞬間、離婚!を切り出してくることもありえます。
あとは、いらぬアドバイスをしないこと。「そうなんだ、そんなことがあったんだ」と聞く姿勢をもつことも大事ですね。
湧永:アドバイスはいらないですか?
しばはし:たとえば、「今日、ママ友で嫌な人がいて」と妻が話し出したら、「嫌な人がいたんだ、大変だったね」とまずは共感するのがいいんです。
湧永:そこで「こう対応すれば良いじゃない」などと言ったらダメなんですね。
しばはし:もっと良くないのが「で、何が言いたいの?」「こういうことだよね」と会話の途中でまとめに入ることです。「で、」「結局」「要するに」という言葉は禁句。あとは話を聞くだけではなく、意外と夫側が自分の弱みや悩みを話すのもアリだったりします。
湧永:あとはどんなことを気をつければ良いでしょうか?
しばはし:「海外旅行に連れていってあげてるし、高い物も買ってあげるし、なにも不自由させてない」という「あげてる」スタンスは無意識に妻を見下しがち。妻は金銭的な満足度よりも承認欲求が強いこともありますので。
湧永:男性側としては、他の奥さまより自分の妻は良い体験をしている、良い物を持っている、それは俺のおかげだ、という気持ちがあるのでしょうね。
しばはし:一方で、妻側も夫への感謝を伝えることも大事です。「夫が優しくないんです」と相談に来る場合、「その前にあなたは夫へ優しくしましたか」と尋ねると「少し冷たかったかもしれない」と。全ては自分事なんです。相手のせい、他人のせいではなく、全部自分から発生していると思い、相手を変えるのではなく自身を変えようと努力する方は良い関係を築いています。
“子どもから親を奪わない”を当たり前の社会に
湧永:初めは、「妻が悪いんです」「夫が悪いんです」と言っていても、しばはしさんの話を聞いていく中で思い当たる節があって、反省することで良い関係がまた戻ってくるのですね。
しばはし:そうですね。復縁するとは限りませんが、悪化することはないので子どもの両親として関わっていきやすくなります。私が広めたいのは、離婚しても親同士の関係が続くのだから争わないということ。そして、子どもから親を奪わないということが当たり前の社会にしていきたいですね。親同士が争っていると一番の被害者は子どもですから。離婚家庭の子どもが親に会えているのはたった3割なんです。
湧永:少ないですね。
しばはし:現在、離婚後の養育について養育費や面会交流のことなどが法制審議会で議論されています。社会的にも動き出していますので期待したいところですね。ただ、法改正は数年かかることですから、私は共同養育できる親同士の関係を作るサポートをさらに拡充していきます。
山上:子どもと同居している人が再婚した場合はどうなるのですか?
しばはし:とても良い質問ですね。ポイントは親は入れ替え制ではないということ。新しいパートナーが新たなパパママなのではなく、子どもにとっての親はあくまで実親です。もちろん子どもが懐いてパパママと呼べば、親が増えていくというイメージですね。
山上:親が増えてラッキーと思える子どもだったら良いですよね。
しばはし:そこを説明していくのは親の役割ですよね。パートナーに親の役割を担わせることで悲しい事件もたくさん起きています。子どもが懐かないことで虐待が起きるのです。ステップファミリーは元の家族のように仲良くしないといけない、懐かなくてはいけないと思わない方がうまくいきます。
当時はあまり意識しなかった“慶應”。いま、改めて感じる三田会の絆の強さ
湧永:慶應の話に戻ります。改めて慶應を振り返ってみて、意識やマインド、どういったことを学んだかなど、卒業して25年たった今どう思いますか?
しばはし:当時はあまり慶應に恩恵を感じることはありませんでしたが、今の活動をしていると、ご相談者をはじめ関わる方々に高学歴の方が多いので、安心感や信頼感を持ってもらいやすいという面はありますね。ただ、学歴を生かすも殺すも自分次第なので学歴に見合った活動をしていきたいなと思っています。
また、25年の時を経て多方面で活躍している同期と新たに人脈を結べるのも慶應にいたおかげだなと思います。
同期のみなさんへメッセージ
湧永:最後に同期の方に向けて、ぜひ一言いただけたらと思います。
しばはし:人生100年時代。これからの人生後半は、結婚、子育て、仕事のピークが一段落し、時間もお金も真に自由に自分らしく生きる年代に突入です。ひとりもいいけれど、家族や愛する人とともに過ごせたらもっと楽しい。
私は離婚を経て、他責の念が強かった自分を見つめ直し、今はすべては自分事と受け止めるようになりました。大事な人や大事な人が大事にしたいことを尊重することで、自分自身の心も整いやすくなりました。 一番身近な家族や大切な人をあらためて大事に感謝の気持ちを添える日々を。そして、どうか皆さん、「りむすび」にお世話にならないように気を付けてください(笑)。
湧永・山上:本日はありがとうございました。
インタビュアー :湧永寛仁 経済学部卒業 湧永製薬株式会社代表取締役社長。 公益財団法人 日本ハンドボール協会会長。
山上 淳 医学部卒業 東京女子医科大学皮膚科准教授 医学博士(慶應義塾大学)