4/21(水) チャリティイベント「国会議員のお仕事:政治の力で未来を創る」がZOOM開催されました

1996三田会オンラインイベント史上最多の参加人数となった今回。テーマは「国会議員のお仕事:政治の力で未来を創る」です。政治家も多く輩出していると言われている慶應義塾。現在、国会議員として活躍している同期を囲んで、政治家の仕事の魅力や可能性、難しさ、これからについて対話しました。

【 登壇者 】

松本洋平(経) 衆議院議員(4期、東京19区選出)
大塚拓(経) 衆議院議員(4期、埼玉県9区選出)
橋本岳(環) 衆議院議員(4期、岡山県4区選出)
福岡資麿(政) 参議院議員(2期 佐賀県選出、衆議院1期)

神武直彦(理工) 慶應義塾大学SDM研究科教授(96三田会コンテンツ委員長・モデレーター)


大塚拓(法)衆議院議員(4期、埼玉県第9選挙区選出、現自民党、国防部会長、元内閣副大臣、財務副大臣)

大塚: こんばんは、衆議院議員の大塚拓です。

私が将来国会議員になろうと思ったのは、大学2年くらいのときでした。私の実家はもともと商売をやっていて、私自身も卒業後は商売の道に進もうと思っていたんですが、その頃ガット・ウルグアイラウンド交渉(多国間貿易交渉)の影響で家業の業界が大きな打撃を受けたんです。それだけでなく母方も戦前から商売をやっており、祖父の人生なんかを聞くと戦争に大きく左右されていることに衝撃を受け、だんだんと国際政治に興味を持つようになりました。とくに安全保障の仕事がしたいと考え、科学技術と国際政治の関係の理論を創った薬師寺泰三ゼミという国際政治のゼミに所属し、昨今でも焦点になっている経済安全保障等の議論にも繋がる研究をしました。卒業後は、人生の大先輩からの「政治家になるなら経済のことを知っておけ」というアドバイスもあり、東京三菱銀行に就職し、企画や商品開発を担当しました。一区切りついたところで退職し、アメリカの大学院で政治の勉強をしたあと、留学から帰国。そのときたまたま郵政選挙で小泉解散があり、そこで幸いにも当選し、衆議院議員になりました。

当選してからやっている分野はまず安全保障、それから経済・金融の分野、科学技術の分野を中心にやっています。とはいえいろんな仕事をやらされるので、法務や国会対策委員会、政治向きの仕事などその時々でいろんな仕事をやってきています。政府の役職だと内閣府副大臣、財務副大臣、法務大臣政務官などですね。

今は自民党の国防部会長、党の防衛政策のとりまとめ責任者をやっており、直近だと尖閣諸島問題の対応について党として提言をまとめて官邸にもっていったりという仕事や、「イージス・アショア」の代替案の問題、また防衛と科学技術の接点の仕事に注力して取り組んでいました。その関係もあり宇宙関連で本日のモデレーターの神武先生ともやり取りをさせてもらったりしていますね。

神武:ありがとうございます。今日は日常の様子を是非見せて頂きたいということで写真を持ってきて頂いていますので、こちらも紹介してもらいましょう。

大塚: これは財務副大臣をやっているときの写真ですね。素敵な笑みに見えますが、野党の議員がいまいちな質問してたので苦笑…という写真ですね(笑)。

これは大学時代の写真です。もともと将来はビジネスをと考えていたので会計の専門学校にダブルスクールで通っていました。その時の写真です。

神武:写真の古さから我々の同期だということが分かります(笑)。次は同じく衆議院議員の橋本岳さん、お願いします。


橋本岳(環境)衆議院議員(4期、岡山県第4選挙区選出、現自民党総務会メンバー、予算委員会理事、元厚生労働副大臣)

橋本:こんばんは、衆議院議員の橋本です。

私は92年に環境情報学部に入学し、4年で卒業。政策・メディア研究科修士課程に進み、社会人になりました。SFC入学までは岡山の地元の高校に通っており、大学から慶應義塾大学に入塾してます。学生時代は井下理先生の下で社会調査法を勉強しておりまして、当時はSFCのキャンパスライフ満足度調査をするプロジェクトにかかわったりしていました。学部生の時は体育会剣道部にいて、本日福岡先生がいらっしゃいますが、彼が同級の副将で僕は学連という役で、あまり稽古はしないで日本武道館の地下でだべっているなんてことをしてました。

SFCの修士では金子郁容先生のゼミで、当時はまだ始まったばかりだったネットコミュニティ、電子掲示板を使った研究を行っていました。2年間で修士課程を終えたのちは三菱総合研究所というシンクタンクに7年ほど勤め、研究員をしていました。当時はまだネットが社会に普及し始めたばかりということもあり、地域情報化やIPv6の普及促進などのプロジェクトを担当していました。

私の場合は父親が政治家だったので、子供のころからそれを見て育っていました。跡を継げと言われたことはありませんでしたが何となく意識はしていたところ、先ほど大塚先生もおっしゃっていた郵政解散で父が引退することになったことをきっかけに、自ら立候補することにしました。急な選挙ではあったもののおかげさまで当選し、その後は今日の登壇者の皆さんと一緒に落選したり当選したりしながら、今日まで至っています。

国会議員の仕事としては、最初のころは情報通信関係を担当していたんですが、2回目当選以降は厚生労働関係がやたら多くて、政府の厚生労働大臣政務官と厚生労働副大臣を2回していますし、自民党の厚生労働部会長というのもやっていました。今は福岡先生がやっていらっしゃいますね。ほかには医療委員長という医療関係の政策のとりまとめをやったりしています。 昨年、厚生労働副大臣をしていたときにはコロナが日本でも蔓延し始めたため、例のダイヤモンド・プリンセス号に乗ったり厚生労働省で夜中まで対策に走り回ったりしたのが印象深いです。

この写真は、今年は衆議院予算委員会の理事をやっており、予算の質問をしているときのものですね。

神武:後ろに写っているのが三田会の先輩でもある石破さんですね。ありがとうございました。では次に参議院議員の福岡資麿(たかまろ)さんお願いします。


福岡資麿(政)参議院議員(2期、佐賀県選出、衆議院1期、現自民党厚生労働部会長、元参議院予算委員会筆頭理事、内閣府副大臣)

福岡:福岡資麿と言います。よく「本名ですか?」と聞かれますが本名です。選挙区は佐賀県なんですが、よく言われるクレームは名前が福岡であることです(笑)。

大学時代はほとんど勉強した記憶がなくて、実はゼミも取っていませんでした。何をしていたかというと、ひたすら剣道部の部活に明け暮れていました。当時は中目黒に住んでいたんですが、キャンパスがある三田よりも日吉にいた時間の方が多いくらいです。

卒業した後は三菱地所に就職したんですが、そこでの経験から政治家を志すようになりました。三菱地所には約7年半おり、その内の7年を東京、半年を福岡支店で過ごしたんですが、東京で扱っている物件と福岡で扱っている物件の規模や金額などあまりに格差が大きいことに驚いたんですね。福岡県でもそうだったんですが、その隣の佐賀県に至っては、当時の会社からすると「投資対象外」と言われていて、佐賀県の物件には触れるなという掟があるくらい。それにすごくショックを受けました。そんな中で、東京だけでなく、自分が生まれ育った佐賀県を含む地方でも過ごしやすい街づくりができればと感じたことが、政治家を目指す原点になっています。

そういう意味でいうと、街づくりにも興味がありますが、初当選時にお世話になった橋本先生のお父さんから「社会保障を勉強したほうが良いよ」とアドバイスをいただいた関係で、橋本先生ともよくやりとりさせていただいています。

今は自民党の厚生労働部会長をしており、厚生労働関係の取りまとめを担当しています。法案審議と合わせて、厚生労働部会長がコロナ関係の事務局長もやらなければいけないため、コロナ関係の対応にも追われている現状です。オリンピックが迫る中で変異株も拡大してきており、どうしていくかという対応をしています。

神武:ありがとうございます。こちらの写真は?

福岡:険しい顔をしているので、本会議で筆頭理事として、委員長の解任決議に反対討論をしている写真だろうと思います。

神武:ありがとうございました。では最後に、衆議院議員の松本さんお願いします。


松本洋平(経)衆議院議員(4期、東京都第19選挙区選出、現自民党議院運営委員会理事、前経済産業副大臣、元内閣府副大臣)

松本:こんばんは、衆議院議員の松本です。すでに3名の方からお話があったように、大塚さん、橋本さん、福岡さんと一緒に初めて国会議員に当選し、現在4回目の衆議院議員をしています。

学生時代は福岡さんと同じようにあまり勉強した記憶がなくて、体育会の競走部(陸上部)に所属してひたすら部活漬けの生活を送っていました。大学時代3年の時に一念発起して経済学部の大村ゼミに所属するようになったんですが、このゼミは政府税制調査会会長を務められた加藤寛先生が藤沢キャンパスの総合政策学部初代学部長に転出をされるときに後継者として指名されたゼミであるため、加藤先生の流れを汲んだ経済政策を勉強しました。

学生時代から政治の世界に興味を持っていたんですが、なかなか自分自身が政治の世界にいる具体的な想像はできなかったため、卒業後は三和銀行に入社しました。そこでの経験が政治の世界に入りたいと思った理由になるんですが、当時96年に社会人デビューし、97年くらいに「あること」があったんですね。何かというと、アジア通貨危機に端を発して、銀行が倒産したりする時代に突入していったんです。当時私は千葉支店に勤めていましたが、そこでの仕事は貸し渋り・貸しはがしの当事者としての仕事でした。その経験が自分にとって非常に大きな経験となりました。銀行というものは、融資をしてそれを元手に企業は成長し、利息を付けて返してもらうという、いわば金融は相手の成長や幸せの後押しをすることだと思いの中で社会人生活をスタートしている者にとって、貸し渋り・貸しはがしの経験は衝撃であったとともに、政治の力の大きさを強く痛感した出来事でもありました。当時の貸し渋り・貸しはがし対策の政府の様々な制度の実態をみて、政治って自分たちの生活や経済に直結しているんだと痛感したのが、政治家を志す最大のきっかけになりました。

とはいえ政治との縁はなかったため、当時の三和銀行東京本部があった大手町をランチタイムに抜け出して、議員会館に突撃訪問をしたりして縁を作っていきました。29歳の時にとにかく政治の世界に行こうと心に決めて会社に辞表を提出し、そこからいろんな方のご縁をいただき、最初の選挙を30歳で迎えました。最初の選挙では落選しましたが、32歳での2回目の選挙で本日のパネラーの方々と一緒に当選させていただいて、以降一緒に落選したり再選したりしながら4期生として仕事をさせていただいています。

国会議員としての仕事は、私自身は金融や経済をやりたい気持ちがありつつも、党の仕事をすることが多いというのが現状です。例えば、小泉進次郎さんの後に青年局長をつとめて、全国の若手のまとめ役をやっていました。政府においては内閣府の政務官、副大臣、経済産業副大臣を昨年9月まで務めていました。内閣府の政務官、副大臣としては防災、宇宙政策、規制改革、行政改革といった分野をやらせていただきました。経済産業副大臣としては去年9月まで務めていたため、新型コロナ対策の初期の部分をやってきたのが政治家としての経歴になります。

今は議院運営委員会の理事として国会周りの裏方の仕事をしているのと同時に、話題になっているデジタル庁の政策立案の責任者の一人として、国と地方の情報システムの共通化プロジェクトチームの小委員長として政策の取りまとめを行っています。

神武:写真を2枚もらっていますが、この1枚目は…?

松本:これは6年半前の御嶽山噴火災害のときの写真ですね。向かって右側の青い服が私で、隣が長野県知事です。当時は内閣府の政務官として防災をやっていたとお話ししましたが、そのときに現地対策本部長を務めて長野県に滞在しました。政治家として現場で責任者として活動するのは得難い経験でしたが、本当につらいことばかりなんですね。ただ、政治家として振り返ったとき、この災害が自分自身を一皮も二皮もむいてくれたと感じた出来事でもあります。

これは大学の時ではなく、高校の陸上競技のインターハイ出場の写真ですね。昔はこんなに痩せてたんだぞという写真です(笑)。


神武直彦(理工)慶應義塾大学SDM研究科教授

神武:ちょうど30分たって、オンライン同窓会史上最多人数が参加いただいていますね。皆さんの関心の高さの現れかと思います。ここからは私からの質問と皆さんからの質問に対してお答えいただきましょう。

私からの質問は以下の2つです。

「国会議員になってからのやりがいや難しさ、うれしかったこと、ピンチは?」

「今の小学生が社会をけん引する2050年、日本や世界はどうなっていると思うか?またそれを踏まえて我々96世代がすべきことは?」

では松本さんから、お願いします。

松本:先ほど紹介した御嶽山災害での経験や、経済産業副大臣を一年間務めた経験を通して私自身が強く感じるのは、人々の暮らしや国全体が我々の意思決定一つで変わることの恐ろしさなんですね。そういう意味では、常に悩みながら苦しみながら仕事をしているのですが、だからこそ喜んでもらったり感謝されたり、成果を残せたときは非常にうれしいです。また実際に、自分自身の発言や取り組みで法律を変えることができたときの喜びは大きいし、ここが政治家の一番のやりがいだと感じます。

そんな中で、96世代ってある意味、宿命を背負っている世代だなと常々感じてもいます。96世代は第二次ベビーブームで一番人口が多い世代であり、一方でいわゆるバブルとか高度成長期を経験しておらず、日本経済自体が右肩上がりでないときに社会人デビューをして今に至っている世代ですよね。そういう意味でも、我々がこれからの日本の未来を創る中心的な役割としてもっと活躍しなければいけないし、未来を切り開いていかなければいけないと感じています。

少子高齢化社会で、我々が高齢者になった時の日本の社会保障はきわめて重要な課題になってくるはずです。その中で我々自身の振る舞い方は、我々世代だけでなくその下の世代にとっても重要になってくるわけで、我々が経済を引っ張っていき、持続可能な社会の姿を作っていかねばらない世代だろうと思っています。だからこそ、子供が大きくなった先の社会よりもむしろ、今ある課題を我々の世代が一つ一つ直視し解決する主役になることが、今後10年20年の仕事になっていくはずだと考えています。

福岡:国会は立法府なので法律を作るのが一番の仕事です。慣習として、国会提出前に与党内で法案の審査を行っていますが、これは誰でも発言ができるオープンな会なんですね。新人のころは自分の意見はなかなか盛り込んでもらえないんですが、だんだんと、地元とのキャッチボールの中で自分の発言が反映されたりするのはやりがいの一つと言えます。一方で辛いのは、国会って基本的に日程闘争なので、野党は審議が通らないよう攻撃を仕掛けてくるんですね。生産的とは言えないんですが、議決に至らないように引き延ばそうとするわけです。だから特に予算委員会の理事を務めたときは、蓮舫先生との厳しい交渉に苦労しました。(笑)。

2つ目の質問についてですが、松本さんがいうように社会保障の分野からお話しします。皆さん、昨年生まれた子供が87万人まで減ったのをご存知でしょうか?我々の親世代、昭和24年頃は270万人であったことを考えると、約3分の1以下まで減っているんです。我々が若い頃はおみこし型と言われていましたが、今は騎馬戦型であり、これからは肩車型になると言われています。その中で我々が取り組むべきことは、高齢になっても支えられる側に移るのではなく、できるだけ長く支える側にい続けることだと考えます。

もう一つは、日本では人口減少し続ける一方で、世界的には人口が増加し続けていることをふまえて、そうした世界をどう日本に取り込んでいくか、という点です。すでに外国人技能実習制度や特定技能制度などの動きがありますが、そうした働き方の変化も含め、外国の方と一緒に社会を作っていくことが、今後の課題になってくると考えています。

橋本:お二人のお話を聞いて感じたのは、世代がいっしょだと考えていることが似ているなということでした。私も福岡さんと同じく国対副委員長を務めましたが、福岡さんがおっしゃる通り国会は立法府であり、法律を作るのが我々の仕事であります。与党として事前審査で部会長が部会をまとめるわけですが、まとめると言っても多数決で決めるということではないんですね。仮に誰か一人が「異議あり」というと審議はやり直しになり、皆が賛成しないと法律ってできないんです。私が部会長やってた時は2つ難しい法案を抱えていて、その内の一つが受動喫煙対策の法案でした。やっぱりたばこ喫み(のみ)の方は難色を示しますが、そうしたときに説明を重ねたり役所に資料を出してもらったりして、何とか全会一致にもっていくことは、難しさでもありやりがいでもあります。

2つ目の質問については、私も皆さんの言う通りだなと感じるところがすごくありました。

私の場合、こども庁を作るという提言に伴って新たな組織ができ、その事務局長を仰せつかっています。そこで感じたのは、これまで、もちろん少子化対策などの対策はしてきているんですが、これまでの行政は、子供や家庭の問題に関しては、困っているところに対して支援することはしてきているものの、必ずしも積極的なサポートは徹底されていないことがしばしばあるなということです。たとえば「児童相談所」はあくまで「相談所」であって受動的な働きかけが基本であったりだとか、いじめや子供の死亡事故の原因究明がなおざりになってしまったりだとかですね。少子化対策という観点では少し手遅れ気味ではあるんですが、2050年に子供が大人になるまでに、今の子供が育つ環境を改めて作り直していくのはすごく大事だと思っています。

大塚:私の場合は、政治家を志すきっかけが少し違うので皆さんと少し角度が違うかもしれません。先ほども言ったように、もともと母方も父方も商売をしており、それぞれが戦争や貿易交渉などの社会情勢に密接に絡んだ人生を送ってきているのを知って、国際政治に興味を持ったとお話ししました。当時はパックスアメリカーナ、冷戦も終わって平和だと言われた時代だったんですが、よくよく勉強すると、そんなことないな、国際社会が荒れてくるのは間違いないなということが見えてきたんですね。米中対立の時代が必ず来るはずだし、そこで政治を間違えると大きな戦争になるとも感じました。で、今になってみると、だいたい思っていたペースで思った方向に国際政治が進んでいるなと感じるんですね。

そのうえで、2030年代と2040年代を乗り切ることが勝負だろうと思っています。米中対立で日本も当事者として巻き込まれるなかで、日本は非常に厳しい状況に置かれるはずですが、今の日本の安全保障政策では乗り切れないのは明らかです。初当選のころは、安全保障は政治のテーマとしては、今以上に正面から考えられていなかった時代でしたし、部会長を2度務めた経験から、安全保障の面で日本政府は非常に現状維持バイアスが強いと感じ続けています。その中でハードルをクリアすることはやはりやりがいですし、まだまだやらなければいけないことがたくさん控えているなと強く感じています。

そんな私の観点でお話しすると、人口減で経済的にも科学技術力としても厳しい状況での我々の課題は、時代に合わせて態勢を切り替え、2030年代に突入する前に必要な身構えを整えることであると考えています。国際社会とも手を組み、戦争の火ぶたを切らせないことであると考えていますし、そういう状態にもっていって、子供たちに未来を渡せたらなと思っています。

神武:ありがとうございます。かなり色々なことが見えた気がしますね。ここからは参加者の皆さんから寄せられた質問に移りましょう。まずはこんな質問がきています。

「蓮舫先生の話が出たけど会議終わった後の雰囲気は?飲みに行ったりするのでしょうか?」

福岡:今はコロナなので飲み会などはできませんが、基本的には国会でやりあってもそのあとは皆さん仲良く飲み会に行ったりしますね。ただ蓮舫先生はあたりが強くて苦労したなと言うところがあるんですが、最後は仲良くさせていただきました。

神武:ありがとうございます。次の質問です。

「国会議員として何回当選すると一人前と思われるのでしょうか?」

大塚:我々は4回目ですが、4回目あたりから若手とは言われなくなりますね。あと先輩から言われたのは、「強い思いがないと10年続かない、10年続かないと一人前とは言えない」という言葉です。

橋本:人によりますが、当選回数や在職年数がものを言う気がします。あとは部会長をやると、会議の前で仕切り役という経験になるので、それは一つの達成点かなという感じがしますね。

神武:ありがとうございます。次、こんな質問来ています。

「この人老害だなと思う人いますか?」なかなか答えにくいと思いますが(笑)

大塚:います(笑)。そのせいでなかなか物事が動かないんじゃないかなと思うことがありますね。

橋本:あとは党の中でLGBTの話とか夫婦別姓の話になると、話が全く通じない人はいます。受け入れられないから分からないというのは困っちゃうな…と思いますね。

松本:会議で全然見ないなっていう方はいらっしゃったりもしますね。

神武:ありがとうございます。次はこの質問。

「議員の立場として、党の役職と政府の役職は、総理大臣を目指すにはどちらが大事なんですが?」

橋本:誰もなったことがないからなあ。

大塚:でもたぶんバランスだと思いますよね。政策のことをいくら言っても実現しないと意味ないし、実現できない政治家は力がついてこないので。国会も動かせる、党もまとめられる、選挙も勝てる、政策も実現できる、どれか一つではなくバランス良くできるのが大事なんじゃないかなと思います。

松本:良い政策をつくることと国会で通して世に出すのは別次元の話なんですが、同じくらい大事なので両方しっかりできるのが大事ですよね。また良い政策作って法案まで落とせるかは、周りに人をどれだけ動かせるか、賛成してもらえるかが重要で、そういう意味では総理大臣になれるかは政策的な頭の良さもありますが、人柄や調整能力などの人間性が備わってないと難しいなと思います。

神武:ありがとうございます。次の質問です。

「国会議員は地元の利害を考えるだけではないと思います。しかし地元の票ありきの立場ですよね。その辺のバランスをどのように取っていらっしゃいますか?」国会議員の仕事としての根幹のような感じがしますが。

福岡:私は参議院なのですぐの解散がない分、比較的自分のやりたいことやっているなと感じます。とはいっても、地元の声を国政につなげることは重要な仕事ですが、そのなかでも自分の中にフィルタを持って、違うなと思うことは発言しない、必要なことは積極的に提言していくということに。尽きるかなと思います

松本:高度成長期は、税収は潤沢でそれをどう配分するかがテーマだったと思うんですが、今の時代の政策判断は、今はちょっと我慢してでも次の世代に回すべきだよねという利益配分がメインのテーマになる気がしてますね。その意味で、政策判断をするときに、地元にどう還元するかよりも、今も苦しいけど何とか我慢して未来に回そうねという判断に悩むことがむしろ多いなと感じますね。

大塚:国会議員は国の代表でありつつ、有権者の代表でもあるので、その地域の特有の課題は自分がやらないとという気持ちですね。その中で松本先生がいったように、何かを配分できるばかりではなくて、要望があっても答えられないということはかなり起こるので、そういうところのフレームワークを日ごろから有権者の方にあらかじめ示しておくことが大事かなと思います。

神武:ありがとうございます。では最後の質問ですね。

「東京五輪は開催できるのでしょうか?」

これはオリンピック担当大臣のご主人にお伺いしましょうか。

大塚:私の妻がオリンピック担当大臣なので、ちょっとうかつな発言はできないなという感じなんですが…(笑)。

基本はやる方向で進んでおります。すでに様々な競技でスポーツ大会やコンサートなどを一定のやり方でやればクラスターは発生しないと明らかになっているので、あと一年延ばすとか中止するとかいうことはないんじゃないかなという感じです。

橋本:オリンピックって本来はスポーツ競技大会の集まりなので、もちろん制限付くかもしれないけれども、例えばネットで応援しようぜ、というやり方であればできるしそれはそれで感動的だろうと思いますので、まずそこまでに感染をコントロールすることが何よりも大事ですが、僕はやる価値があると思っています。

神武:ありがとうございます。オリンピック、期待したいと思います。ではそろそろ時間なので、いったん締めさせていただきます。今日の話は、ぜひ学生の方や政治家志望の若い方にも聞いてもらいたい内容だったなと思います。お忙しいところありがとうございました!

オンラインイベントの最後に撮った記念写真