8/30(日) チャリティイベント「吉野家復活の秘密とその成功の裏側のP&Gマフィア」がZOOM開催されました

2020年、創業120年を迎えた吉野家が、大赤字から見事なV字回復を果たしました。最終損益は前期の60億円の赤字から7億円の黒字に復活。その裏側にはP&G出身者がいました。

伊東さんは18年1月に顧問として吉野家に入社。同10月に常務となり19年3月~20年2月に初めて年間を通してマーケティングの指揮を執りました。その結果が、今回の決算発表でのV字回復だったのです。

このように、様々な事業会社の成功の裏側にはP&G出身者がいます。USJの大復活の立役者の森岡氏もP&G出身者。彼らのことを総称して「P&Gマフィア」と呼ばれています。なぜ、彼らは成功することができるのか――その秘密を探っていきます。
※吉の字は、正しくは「土(つち)」に「口(くち)」と書きます。

伊東正明氏
五十嵐 幹氏

■登壇者紹介

・伊東正明(96年商学部卒)株式会社吉野家 常務取締役
96年に商学部を卒業後、P&Gにてジョイ、アリエールなどのブランド再生を担当した後、グローバルファブリーズチームのマーケティング責任者をアメリカ・スイスにて担当。直近までヴァイスプレジデントとしてアジアパシフィックのホームケア、オーラルケア事業責任者、e-business責任者を歴任。
2018年1月より独立、ビジネスコンサルタント。現・吉野家 常務取締役。

・五十嵐幹(96年経済学部卒)株式会社クロス・マーケティング代表取締役社長兼CEO
96年に経済学部を卒業後、ベンチャーキャピタルに入社、その後ネット企業の創業、取締役就任を経て、2003年に株式会社クロス・マーケティングを設立し、代表取締役を勤める。同社は2008年東証マザーズ上場、2018年に東証一部上場を果たした。伊東とは麻雀友達。

■学生時代のこと

五十嵐:僕は大学時代、どちらかというとラグビーサークルや麻雀などの遊びが中心で、伊東さんとも麻雀友達ですが、伊東さんはどんな学生時代だったんですか?

伊東:僕は92年に、浪人かつ補欠合格で入学したんです。1年の時はラグビーサークルにいて、そこで五十嵐さんとも知り合いましたね。3年からは村田先生のゼミに入りました。体育会系のゼミで、週3回は前日に徹夜しないと課題が終わらない、という感じだったので、そこで勉強の仕方を学んだんです。

実は、入ゼミ面接でも生意気なことを言って落とされそうになったんですが(笑)、最終的には副代表にもなって、論文の書き方や情報の調べ方を叩き込んでもらったかな、と思っています。

五十嵐:村田先生といえば、日本にマーケティングを輸入した第一人者であり、ゼミも体育会系ゼミとして有名ですよね。当時はかなりしっかり勉強されていたんですか?

伊東:成績は超ギリギリでした。ただ、ゼミではかなりみっちり勉強したと言っていいと思います。当時国内に存在したマーケティング関連の書籍は7~8割は読んでいましたね。

五十嵐: では当時から、将来的にはマーケターとして活躍したいと考えていたんですか。

伊東:いえ、実は全く考えていなくて。そもそも村田ゼミは、マーケティングの大家である村田先生のゼミでありながら、ストレートにマーケターとしてキャリアを積んでいる人って少ないんです。僕のほかに1人か2人しかいないんじゃないかな。その意味で、僕は
本流に見えて亜流の学生なんです。

だから、というわけではないですが、当時はマーケターとして働きたいという思いは全くなかった。正直にいうと、ゼミに入ったのも、マーケティングがやりたかったというよりは、マーケティングという題材を使って勉強の仕方を勉強したという感じだったんですね。ただ、マーケティングの根幹にある「人の気持ちが動く仕事」――見えないマスの人々の気持ちを動かすのは、漠然と面白そうだとは思っていました。ただ、それがやりたいというのは正直なかったですね。

■P&Gを選んだ理由

五十嵐:では、今の立場は学生時代からの想像通りというわけではないんですね。

伊東:全く想像してなかったです。それこそ就活中は銀行や金融系も受けていて、内定ももらっていたくらい。でも就職活動を通して感じたことがあって、それは「どこに入っても仕事にはそれなりの面白さがある」ということ。そういう考えで見たとき、P&Gは会社の仕組みとして、一番フェアネスがあると感じたんです。外資系に行くつもりもマーケターになるつもりもはじめはなかったのですが、最終的にそうしたフェアネスさに惹かれてP&Gに入社することを決めました。

五十嵐:外資系ということで気になるのが英語ですが、語学力は問題なかったんですか。

伊東:英語は当時できなくて、TOEICも500点くらいだったんです。でも当時のP&Gの採用方針が、「英語は教えればできるようになる。その代わり教えられないタレントや素質を重視する」というものだったんですね。だから僕でも入れた。入社から4か月間、シンシナティで英語だけの研修に行かせてもらい、それでできるようになったんです。

五十嵐:なるほど。入社して職種を選ぶタイミングで、マーケティング職を選ばれたのだと思いますが、さまざまな職種からマーケティング職を選んだ理由は何だったんでしょうか。

伊東:本当のことを言うと、ぎりぎりまで第一希望は人事職を選択していたんです。P&Gって、まず会社説明会に行って、各部署の仕事内容などの説明を受けたタイミングで職種を選ばなきゃいけないんですね。選んだ先で落ちたら、もうP&Gには二度といけない。僕は
マーケティングと財務経理と人事と3つ受けていて、最初は人事→マーケティング→財務経理の順で希望を出すつもりだったんです。でも、セミナーを受けて帰るために駅の改札を通る直前に、やっぱりマーケティング職を一番にしようと思いなおして、書き直しに行ったんです。

村田先生からもずっと言われていたことの一つに、「マーケティングは人の心を動かすことである」という言葉があります。人の心を動かす、ということをマス相手にやるのがマーケテイングであり、会社内の人に対してやるのが人事である、と思っていたんですね。何千、何万という見えない人々の気持ちを動かすマーケテイング部門って面白そうだなと改めて思い、それで職種を決めました。

■P&G時代の活躍

五十嵐:権限の設計も日本企業と違う外資系のP&Gですが、入社してからの活躍について、仕事内容を交えながら教えてもらえますか。

伊東:日本企業との一番の違いは、文系にも関わらず職種別採用であることです。入った部門で一生過ごす、いわゆる背番号がついちゃう形ですね。僕はマーケティング職で入ったので、基本的にはマーケティング職をやるしかない。P&Gでは、入社の前段階で「アップオアアウト」と言われるんです。つまり、上に上がらなかったら辞めるしかないということですね。

入社すると、まずは一つの商品に配属されます。僕はアリエールという洗濯洗剤に配属されました。当時の担当者は3~4名です。ブランドマネージャー1人とアシスタント2~3名という体制ですね。この3~4人が、100億~200億くらいのビジネスの利益責任者、商品開発、販促・マーケティング施策のブレーンになります。

五十嵐:100億円くらいのビジネスを3~4人で回すんですか。

伊東:今は100億円だったら2人になっているかな。

五十嵐:作業範囲としてはどこまでカバーするんですか?

伊東:PLの管理、月次のビジネス管理、それから商品企画、販促企画などです。トップラインを伸ばすことと利益管理の2つにかかわることはほぼすべてが作業範囲ですね。

五十嵐:働き方はブラック?

伊東:思いっきりブラックです(笑)。ただし、長時間働くことはむしろマイナスとみなされます。無駄な労働時間を削り、自分で決めた期間でいかに効率的に成果を出すか、が求められますね。

五十嵐:そういう中でいろんなブランドを担当してきたと思います。具体的にどのような成果を出してきたか紹介していただけますか。

伊東:例えば、台所洗剤のジョイってご存じですよね。国内シェアは40%程度あったのですが、一時30%まで落ちたことがあるんです。で、その落ちたタイミングで僕が責任者として送り込まれました。29歳の時のことです。そのシェアを再度40%に戻すという目標を2年間で達成しました。

もう一つがアリエール。アリエールは、当時のP&Gにとっては最重要ブランドでした。そのアリエールのシェアが24%から11%まで落ちたんです。シェアが10%落ちると、利益としては(当時で)数十億の影響が出ます。これを何とかしろ、ということで僕がブランドマネージャーに着任しました。

僕らがやったのは、花王のアタックという粉末洗剤を退場させるために、液体洗剤を伸ばすという施策です。今でこそ、洗濯洗剤は液体が主流ですよね。でも2005年の2月までは、ほとんどの家庭が粉末洗剤を使っていたんです。それが今日のように液体洗剤が主流になったのは、間違いなく僕らがやった施策の影響と言っていいと思います。

アリエール担当後、アソシエイトディレクターに着任し、P&Gの4割くらいのビジネスを担当しました。具体的に言うとレノアやボールドの成長がありますね。結果的に、洗濯洗剤関連の歴史でいうと、僕が担当した2年は、歴代でも2番目くらいに伸びた時期になりました。

そうした功績が評価されたのか、2008年にファブリーズという商品がグローバルチームを作ろうというタイミングで、僕が初代のマーケティング責任者に選ばれました。責任者としてアメリカに行き、世界戦略や世界市場での新商品開発などを行いました。また参入国が実質6カ国しかなかったところを、最終的には82カ国まで増やしました。

そのあと一瞬日本に戻って、すぐシンガポールにいき、アジア全体のヴァイスプレジデントに着任したという流れです。

■吉野家ホールディングスについて

五十嵐:P&G時代の話だけでも今日の時間が終わっちゃいそうですが(笑)、そろそろ吉野家ホールディングスでの活躍についてもお伺いしていきましょう。

吉野家の創業は1899年、世田谷ラーメンやはなまるうどん、京樽といったチェーンを展開しています。1980年にいったん倒産しますが、そこから再建し、現在は国内で500店舗を出店。海外の店舗数はグループで1000店舗を超え、国内チェーンではナンバーワンの実績を誇っています。

そんな吉野家ホールディングスですが、なぜ吉野家を選んだのか、そのきっかけを教えてください。

伊東:45歳の時にアジアでヴァイスプレジデントをしていた当時、会社から言われていたのは「次は日本の社長か、シンガポールに残ってほかのカテゴリを担当するか、グローバルチームの責任者の3つのどれかだ」ということです。

そのとき、日本のP&Gはセールス・営業色が強く、マーケター出身の僕が行ってもうまくいかないだろうし、シンガポールに残るとしてもグローバルチームの責任者になるとしても、僕がこれ以上できることはないのではないかと感じたんです。

当時、入社して20年目くらいで、65歳まで働くとしてちょうど半分というタイミング。ほかにも目を向けてみようと思っているとき、ヘッドハンターを通じて吉野家の社長に声かけてもらいました。ほかにも候補はありましたが、最終的に吉野家を選んだ理由は、「商品が良いから」。マーケティングをやっていて「勝てる」と思うのは、やはり商品が良いときなんです。「悪いものを売っても勝てない」というのはP&G時代に学びました。

また、日本企業は成長するのが難しいと言われる中で、日本のカルチャーとして訴求できるものに「飲食」がある、とずっと思っていた。これまで日本人としてマーケティングをやってきて、世界を舞台に仕事をしてきた経験から、飲食で日本企業を世界的に成功させられたらという思いがあったんです。
商品が良い、「吉野家」というブランドがある、世界で戦える「日本の飲食」という武器がそろっているということで、吉野家を選びました。

五十嵐:18年1月に顧問として吉野家に入社され、同10月に常務となり、19年3月~20年2月に初めて年間を通してマーケティングの指揮を執り、その結果が見事なV字回復でした。いったいどんな戦略を取られたのでしょうか?

伊東:僕は7年ほどシンガポールに住んでいたせいで、吉野家は出張の時以外行くことがなく、実態をほとんど知りませんでした。入社して一番驚いたのは、牛丼構成比率が約55%しかないことです。実は、45%は豚丼やカルビ丼、カレーや定食メニューなどが占めているのです。

五十嵐:外から見るのと内情は全然違うんですね。

伊東:その通りです。吉野家と言えば、皆さんはサラリーマン向けのカウンターがある店舗を想像するかもしれませんが、そうした店舗は1200店舗中400店舗しかない。残りの800店舗は、郊外のロードサイドでドライブスルーついているような店舗なんですね。そうした店舗では、週末のファミリー層と平日夕方のテイクアウト層が最も大きな顧客層なんです。外から見ているだけでは分からなかった吉野家のビジネスの大きさを思い知らされました。

五十嵐:当時はどこに問題があるとされていて、それに対してどのような戦略をたてていったのでしょうか。

伊東:入った時に言われた課題は「松屋すき屋に追い付け追い越せ」でした。実際、すき屋の店舗数は1900店舗で、吉野家は1200店舗と、圧倒的にすき屋の方が店舗数は多いです。これには、BSE(牛海綿状脳症)が問題になったときに売上が立たなくなった店舗を吉野家が片っ端から閉める一方で、その中から好立地な場所をすき屋が取っていったという経緯があります。
松屋は、牛丼では勝てないと見切って鉄板を使った焼きメニューを強化することで成長を図っていました。松屋の店舗数は約1000店舗弱と、吉野家に並んできている状態です。

鉄板の定食メニューがうまくいって成長著しい松屋、店舗数を伸ばし、夕方の顧客はもちろん女性や家族も取り込んでいるすき屋、それに勝ちたい吉野家。ということで、当時吉野家で行っていたのは、女性客を取ること、家族客を取ること、定食メニューを伸ばすこと、の3つでした。この3つを、僕が入るまでの3年間ずっとやっていたんです。

この戦略、課題設定自体は間違っていなかったと思っています。というのも、我々が牛丼単品で勝負できたかというとそれはなかっただろうと思うんですね。
例えば、駅前の飲食店について考えてみましょう。昔は、駅前の飲食店と言えば、立ち食いそばか吉野家の2つがあれば良い方でしたよね。ところが今は、駅前の飲食店が平気で15~20軒あったりする。そうすると当然、お客さんが吉野家に来る頻度は減ってしまいます。だからこそ一定程度、定食メニューを増やさないと来店頻度が稼げないんです。その意味で、3年間で手を広げた定食メニューは悪い戦略ではありませんでした。

ただ一方で、会社内で「いつまでこの戦略を続けるんだろう」と思い始める時期に差し掛かってもいました。

僕がやったことはそんなに難しいことではなくて、マーケティングの考え方の基本、「僕らの敵は誰だろう」というところから話を決めていったんです。

「敵はすき屋・松屋です」ということだったので、実際にお客さんがすき屋か松屋か吉野家で迷う立地って、全体の何店舗なのかと聞いたんですね。そうすると誰も答えられない。つまり、牛丼業態という狭い商圏の中で、競合と差別化を図っても限界があるという話なんです。松屋・すき屋に勝つことよりも、牛丼を食べたくなる、吉野家を選びたくなる理由が強くないと、どれだけ松屋・すき屋と戦っても、牛丼屋がひしめき合うような場所にない店舗にとっては意味がないんです。

3年を振り返ってみると、牛丼でCMを打ったこともなければ牛丼でニュースを作ったこともない状態でした。だからまずはここから直そう、と戦略を立てていきました。

2つ目は、女性客を取ることです。吉野家のイートインの男女構成比は8対2で、すき屋が5対5であることを考えると、圧倒的に女性客が弱かった。だからこれまでにも女性が好きそうなチーズ系のメニューを出すなど施策は打っていました。

ところが、改めてテイクアウトだけの男女構成比を見てみると、5対5なんですね。これが何を意味しているかというと、「牛丼を食べたいと思う気持ちは男女一緒」ということではないか、と考えました。つまり、女性は牛丼が食べたくないわけじゃないくて、シンプルに吉野家の店舗に入りたくないだけなんじゃないか、ということです。だから、女性客を伸ばしたいのなら、メニューを変えるのではなくテイクアウトを伸ばしていくべきだと考えました。

五十嵐:具体的にはどのような施策を?

伊東:吉野家の強みは、「牛丼=吉野家」と第一想起されるブランド力です。だからまずは
牛丼が食べたくなる回数を増やす戦略にしました。その時に出したのが、「超特盛」と「小盛」という新サイズです。実際に推したいのは「小盛」でしたが、ニュース性の強い「超特盛」も一緒に出すことで、民放4局ふくめメディアが取り上げ、爆発的に認知を広げることに成功しました。
これにより、かつて吉野家をよく食べていた50代くらいの人や女性にも「小盛」という選択肢を知ってもらうことができた。実際に、累計でも超特盛より小盛のほうが1.5倍くらい多く売れています。

次に行ったのがライザップ牛サラダ。こちらもメディア向け商品です。我々の直接競合は、実はコンビニなんです。人の1年間の食事回数は1095回と言われていますが、そのうち、飲食業は約100回しか取れていなくて、残りは作って食べるかコンビニで買って食べるか、というのが実情です。そのコンビニ飯の機会を取るための第一弾として考えたものが、このライザップ牛サラダ。想定しているのは、サラダチキンともう一品、それに飲み物を買って合計500円くらいになるというシチュエーション。だからこのライザップ牛サラダも500円に設定しました。

その次に行なったのが、週末家族向けの「ポケ盛」です。ポケットモンスターとコラボした施策で、推計で数百万以上売り上げました。

■P&Gマフィアとは

五十嵐:そうした施策の積み重ねがV字回復につながったんですね。伊東さんのような目覚ましい業績を上げているマーケターの多くが、P&Gのマーケ職出身だということが話題になっていることはご存じでしたか?

伊東:「P&Gマフィア」ですが、自分たちからそう自称したことは一度もないです(笑)。
2018年4月の日経クロストレンドの1発目の特集がP&Gマフィアで、そこから日本でもそのように呼ばれ始めましたね。

五十嵐:ざっとご紹介するだけでも、USJ再建の立役者となった森岡毅さん、日本マクドナルドCMOの足立光さんなど、並々ならぬメンバーがそろっています。なぜ、P&G出身者にこうしたマーケターが多いのでしょうか?

伊東:一言でいえば、再現性の高いメソッドを持っているからでしょう。P&Gでは、数人で100億の事業を回します。利益責任を持っているし、消費者調査も自分たちでやるし、商品設計を研究開発とやります。それが生産ラインに乗るか確認するし、販売企画を企画部門とやるし、テレビコマーシャルもパッケージもやるし…というのを、何回も何十回もやるんです。そうすることで自分の中でトライ&エラーの経験値が積み上げられていく。だからこそ、多くの優秀なマーケターを輩出しているのだと思います。

( 編集注:予定時間超過のためここで終了となりました )

視聴者が夢中になるような多彩な話が盛りだくさんのオンライン同窓会でしたが、残念ながら時間切れとなりました。また機会を設けて、ぜひお話の続きを聞きたいと思います!